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資料詳細(図書寮文庫)

函架番号 九 ・ 106
枝番号 0000
分類番号 416 歴史及伝記 > 歴史 > 日本史 > 古文書
書名 九条家文書六 (第221―293巻)
註記等 内容:6諸寺院関係文書(221―293巻)
編著者 -
刊写情報 原本、写本, 平安期―室町期
家別 九条本
点数 73
閲覧区分 -
複製番号 閲覧用紙焼写真帳:873(45冊)
翻刻・紹介情報 翻刻:宮内庁書陵部編『図書寮叢刊 九条家文書』6(昭和51年)。
貸出情報 -
解説 -
備考 九条家文書(九-106)全325巻
九条家文書一(第1―82巻・代々譲状遺誡類・和泉国日根荘関係文書)
九条家文書二(第83―109巻・家領文書)
九条家文書三(第110―140巻・山城国山科関係文書・洛中并東九条関係文書)
九条家文書四(第141―178巻・洛中并東九条関係文書)
九条家文書五(第179―220巻・散在家領等文書・家領関係補遺)
九条家文書六(第221―293巻・諸寺院関係文書)
九条家文書七(第294―325巻・書状類・脱漏・拾遺等)
画像 -
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細目(73件)

編著者 藤原盛経等奉、葉室定嗣等奉, 元久2年・嘉禎3年・永仁6年
刊写情報 原本
内容 太政官牒(1608・元久2年5月17日・最勝金剛院宛)、官宣旨(1609・嘉禎3年5月4日・最勝金剛院宛)、最勝金剛院領内給人進止下地注文(1610・永仁6年10月27日)
編著者 釈円爾〔弁円〕, 弘安3年・貞和2年
刊写情報 原本、写本
内容 円爾弁円置文写(1611・弘安3年6月1日)、円爾弁円置文写(1612・弘安3年6月1日)、室町幕府事書案(1613・貞和2年正月23日)
編著者 小槻兼治等奉、町資藤等奉, 嘉慶2年
刊写情報 原本、写本
内容 東福寺領諸役免除文書写(1614・太政官牒写(嘉慶2年5月25日・東福寺宛)・官宣旨写(嘉慶2年5月25日・東福寺宛・加賀国宛・因幡国宛・備中国宛・淡路国宛・出雲国宛・土佐国宛・山城国宛・武蔵国宛・石見国宛・周防国宛))、東福寺領諸役免除文書写(1615・太政官牒写(嘉慶2年5月25日)・官宣旨写(嘉慶2年5月25日))
編著者 有家、布施英基・松田貞康奉、布施英基・飯尾元連奉、釈霊郁〔安国寺霊郁〕、後奈良天皇(万里小路惟房奉)、釈恵珍〔東福寺恵珍〕、釈光璞〔献甫光璞〕・釈令憩〔文坡令憩〕・釈恵綉〔繍雲恵綉〕・釈永幸〔惟天永幸〕・釈恵級〔等雲恵級〕・釈令見〔汝源令見〕・釈善樟〔笑隠善樟〕・釈竜喜〔熙春竜喜〕、九条兼孝、堀秀政、羽柴秀吉〔豊臣秀吉〕、内海久長, 康永元年・2年・享徳3年・文明10年・11年・17年・大永7年・享禄3年・天文3年・天正5年・9年・13年・慶長6年
刊写情報 原本、写本
内容 月忌用途送状(1616・康永元年12月10日)、分一料足請取状(1617・康永2年11月28日)、室町幕府奉行人連署奉書(1618・文明10年3月8日・東福寺宛・1619・文明11年・東福寺宛)、某申状草案(1620・文明17年8月)、安国寺霊郁書状(1621・大永7年11月)、後奈良天皇綸旨写(1622・享禄3年12月17日・万里小路惟房奉・右衛門権佐宛)、東福寺恵珍書状(1623・天文3年2月21日・矢野筑後守宛)、東福寺住持〔献甫〕光璞等連署書状(1624・天正9年8月11日・唐橋宛)、九条兼孝書状案(1625・天正9年9月13日・堀秀政宛)、堀秀政書状(1626・天正9年9月18日・唐橋宛)、羽柴秀吉朱印状案(1627・天正13年11月21日)、東福寺住持并維那覚(1628・慶長6年11月20日)、内海久長書状(1629・7月13日・恵珍宛)、某書状(1630)、東福寺文書包紙類(1631・綸旨案・享徳3年・官符・天正5年・性田申状)
編著者 北条宣時・北条貞時奉、足利直義、北条宗方・大仏宗宣奉、釈恵雲〔山叟恵雲〕・宗像長氏、北条時敦・金沢貞顕奉、貞弘、家長、光厳天皇(高階雅仲)、覚胤、北条義時奉、左兵衛尉時基, 貞応2年・永仁7月・正安元年・正和2年・5年・元弘3年・建武3年・5年・暦応2年・4年
刊写情報 原本、写本
内容 関東下知状(1632・永仁7年4月6日・北条宣時・北条貞時奉)、上原郷支証文書案(1633・関東下知状案(永仁7月4月6日)・足利直義安堵状案(暦応4年閏4月13日・東福寺長老宛)・光厳院々宣案(建武3年10月26日・暦応2年12月28日))、六波羅下知状案(1634・正安元年12月23日・北条宗方・大仏宗宣奉)、東福寺住持〔山叟〕恵雲并宗像長氏往返状(1635・正安元年12月25日・26日)、六波羅下知状(1636・正和2年7月27日・北条時敦・金沢貞顕奉)、六波羅下知状案(1637・正和2年7月27日)、上原郷国方年貢請取状(1638・正和5年12月29日)、上原郷領家方年貢請皆済状(1639・元弘3年9月4日)、備中国留守所下文案(1640・建武3年4月12日)、上原郷所務代官家長書状(1641・建武3年4月19日)、光厳院々宣(1642・建武3年10月26日・高階雅仲奉・東福寺長老宛)、関東下知状并雑掌申状案(1643・吉備津宮雑掌覚胤申状案(建武5年8月)・関東下知状案(貞応2年6月30日・北条義時奉))、左兵衛尉時基請文(1644・建武5年8月29日)
編著者 光厳天皇(油小路隆蔭奉)、中御門経季奉、源公俊、大蔵丞朝泰、足利尊氏(仁木頼章奉)、佐々木高氏奉、佐々木氏頼奉、真賀、(附)足利直義, 暦応2年・4年・康永3年・観応3年・文和2年・延文2年・貞治3年、(附)暦応4年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:光厳院々宣(1645・暦応2年12月28日・油小路隆蔭奉・東福寺長老宛)、領家方請取状包紙(1646・暦応4年12月27日)、中御門経季奉書(1647・康永3年2月28日・東福寺方丈宛)、源公俊打渡状(1648・観応3年8月23日)、大蔵丞朝泰打渡状(1649・観応3年8月23日)、室町将軍〔足利尊氏〕家御教書(1650・文和2年12月28日・仁木頼章奉・秋庭新左衛門尉宛)、室町幕府引付頭人奉書(1651・延文2年7月5日・佐々木高氏奉・細川右馬頭宛)、室町幕府引付衆奉書(1652・貞治3年6月11日・佐々木氏頼奉・宮下野入道宛)、東福寺雑掌真賀申状案(1653・貞治3年6月)  附:足利直義安堵状案(1653・暦応4年閏4月13日)
編著者 重安、足利義満(細川頼之奉)、吉見氏頼奉、吉見氏泰、宗通、応禅、隆雅、昌秀・道為、忠家、道鎮、(附)後光厳天皇(平親顕奉)、足利尊氏、左衛門尉頼秀, 文和2年・4年・応安6年・永和3年・4年・康暦元年・2年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:万里小路家雑掌重安申状案(1654・永和3年8月)、室町将軍〔足利義満〕家御教書(1655・永和4年6月15日・細川頼之奉・渋川満頼宛)、室町幕府引付頭人奉書(1656・永和4年9月20日・吉見氏頼奉・渋川満頼宛)、備中国守護渋川氏奉行人連署奉書(1657・永和4年10月17日・1658・永和4年12月3日・吉見氏泰宛)、備中国守護代打渡状(1659・永和4年12月18日・1660・康曆元年5月3日)、上原郷領家方半済分請取状等(1661・上原郷領家半済分守護方請取状(康暦元年6月11日・23日)・沙弥昌秀等借状(康暦2年4月24日)・上原郷領家方半済請料請取状(康暦2年12月27日))、上原郷領家半済職打渡状(1662・康暦元年8月24日・加賀入道宛)、備中守護沙弥道鎮請文(1663・康暦2年正月23日)  附:後光厳天皇綸旨案(1654・文和2年9月12日・平親顕奉・万里小路仲房宛)、足利尊氏御判御教書案(1654・文和4年8月28日・秋庭肥後守宛)、左衛門尉頼秀打渡状案(1654・文和4年9月8日)、室町将軍〔足利義満〕家御教書案(1654・応安6年12月14日・渋川満頼宛)
編著者 左衛門尉、足利義満(斯波義将奉)、光意・一誉、真壁景康、渋川満頼、善源、熊沢明照、氏康、乗三, 永徳2年・至徳2年・嘉慶2年・3年・康応元年・明徳3年・4年・5年
刊写情報 原本、写本
内容 万里小路家雑掌請取状(1664・永徳2年7月10日)、室町将軍〔足利義満〕家御教書案(1665・至徳2年8月25日・斯波義将奉・多治部少輔次郎宛)、守護方両使上原郷打渡状(1666・至徳2年10月11日・光意・一誉)、真壁景康打渡状(1667・至徳2年10月21日)、上原郷諸公事等免除関係文書案(1668・官宣旨案(嘉慶2年5月25日・町資藤等奉・備中国宛)・室町将軍〔足利義満〕家御教書案(嘉慶3年2月7日・斯波義将奉・渋川満頼宛)・備中国守護渋川満頼遵行状案(康応元年4月27日・吉見氏泰宛))、上原郷未進徴符案(1669・1670・明徳3年12月21日)、備中国守護遵行状(1671・明徳3年12月23日・渋川満頼・吉見氏泰宛)、上原郷半済関係文書案(1672・備中国守護遵行状案(明徳3年12月23日・渋川満頼・吉見氏泰宛)・沙弥明照書状案(12月23日・赤尾飛騨入道・白河掃部助・日吉庄勘解由左衛門尉宛))、渋川満頼書状(1673・明徳4年2月15日・吉見氏泰宛)、上原郷半済職打渡状(1674・明徳4年3月16日・壱岐七郎左衛門尉宛)、乗三書状案(1675・明徳4年ヵ3月16日・赤尾宛)、上原郷名主百姓等目安状(1676・明徳4年9月日)、上原郷百姓等申状案(1677・明徳5年5月)
編著者 妙範、乗三、光心, 南北朝期・文安元年
刊写情報 原本、写本
内容 妙範書状案(1678・4月27日・布志名宛)、上原郷名主百姓等申状(1679・8月28日)、乗三書状(1680・10月13日・東福寺都聞宛)、上原郷政所光心書状(1681・文安元年10月19日・1682・1683・文安元年11月19日・1684・文安元年12月7日・東福寺看寮禅師宛)
編著者 乗三・受継, 応永3年・5年
刊写情報 原本
内容 上原郷半済方散用状(1685・応永3年10月15日)、上原郷内得岡名田畠土貢目安(1686・応永5年5月)
編著者 薬師寺永可奉、祥玉・素山, 応永5年・6年・7年・8年
刊写情報 原本、写本
内容 備中守護〔細川氏〕在京奉行人奉書案(1687・応永6年9月1日・薬師寺永可奉・上野宛)、上原郷百姓等雑用免除注文(1688・応永6年)、備中守護〔細川氏〕在京奉行人奉書案(1689・応永7年7月20日・薬師寺永可奉・上野宛)、上原郷秋畠検見帳(1690・応永8年9月10日)、上原郷秋畠損亡注進状(1691・応永8年9月10日)、給主祥玉書状(1692・1693・1694・応永5年5月2日・1695・9月2日)
編著者 明穏、親家、延持・貞守、正運, 応永9年・13年等
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:上原郷御倉造営料下行注文(1696・応永9年10月日)、吉備津宮公文所親家書状(1697・応永13年ヵ6月7日)、延持・貞守連署一献分請取状(1698・応永13年7月2日)、延持・貞守連署流鏑馬役免状案(1699・応永13年7月2日)、沙弥正運書状包紙(1700・応永14年ヵ)  附:上原郷御倉指図(1696・応永9年)
編著者 奇琇、河西満秀、受眷・啓福, 嘉吉3年・文安元年
刊写情報 原本、写本
内容 上原郷内検帳前米銭渡状(1701・嘉吉3年10月17日)、河西満秀名田畠避渡状(1702・嘉吉3年12月17日)、某寄付状案(1703・文安元年2月9日)、上原郷公田員数注進状(1704・文安元年7月)、上原郷百姓等目安(1705・文安元年12月5日)、某事書案(1706・文安元年12月)
編著者 釈永広〔竜谿院永広〕、自慶、石川道寿、穴田宝英、恵源、石川昌秀・庄貞光、庄道賀・氏性, 宝徳2年・3年・享徳元年
刊写情報 原本、写本
内容 上原郷上使在荘下用注文(1707・宝徳2年正月日)、上原郷公事借銭注文(1708・宝徳3年正月11日)、上原郷関係支証案(1709・石川道寿書状案(享徳元年閏8月26日・永広宛)・石川道寿寄進状案(享徳元年10月日・永広宛)・石川道寿渡状案(享徳元年10月日・永広宛)・石川道寿書状案(享徳元年10月16日・永広宛)・穴田宝英書状案(享徳2年12月21日・繁公記室宛)・恵源書状案(正月18日・上原政所宛)・石川昌秀・庄貞光連署渡状案(宝徳2年2月16日・永広宛)・庄道賀・氏性連署奉書案(宝徳2年2月16日・庄貞光・石川昌秀宛)・庄貞光・石川昌秀連署渡状案(宝徳2年2月25日・石川道寿宛))
編著者 石川道寿、穴田宝英、家正彦五郎、家平・小橋国依、恵弘・源致、釈永広〔竜谿院永広〕、白賀有友、友吉源兵衛・友吉二郎三郎、利末五郎左衛門, 享徳元年・2年・3年・康正元年
刊写情報 原本、写本
内容 石川道寿寄進状(1710・享徳元年10月・永広宛)、石川道寿渡状(1711・享徳元年10月・永広宛)、穴田宝英書状(1712・享徳2年12月21日・繁公記室宛)、家正名支証文書案(1713・家正彦五郎申状案(享徳3年正月晦日)・家正彦五郎名田畠引渡状案(享徳3年3月14日)・給主恵光・源致家正名田畠売券案(長禄3年3月12日)・家正名覚書案)、鼓山八幡宮造営関係文書案(1714・八幡宮造営役田売券案(享徳3年6月13日)・竜谿院永広書状案(享徳3年ヵ12月3日・4年ヵ4月13日・11月5日・東福寺納所都聞看寮宛)・某書下案(享徳4年4月))、友吉名支証文書案(1715・白賀有友申状案(享徳4年2月12日・江月宛)・友吉源兵衛友吉名田地引文案(享徳元年12月3日)・友吉源兵衛田地引文案(享徳3年2月16日)・友吉二郎三郎田地引文案(康正元年10月10日))
編著者 東温・恵弘, 長禄元年
刊写情報 原本
内容 上原郷内検帳(1716・長禄元年10月26日)
編著者 寿因, 文明11年
刊写情報 原本
内容 上原郷内検帳(1717・文明11年10月)
編著者 寿因, 文明13年
刊写情報 原本
内容 上原郷内検帳(1718・文明13年3月日)
編著者 石川道寿・前田永浄、釈永広〔竜谿院永広〕
刊写情報 原本、写本
内容 備中国守護奉行人連署奉書(1719・2月9日・石川道寿・前田永浄奉・石川昌秀宛)、竜谿院永広書状(1720・2月10日・東福寺納所都聞看寮宛)、竜谿院永広書状案(1721・6月12日)、竜谿院永広書状(1722・6月日)
編著者 薬師寺永可、釈永広〔竜谿院永広〕、石川道寿、釈昌聞・釈源材
刊写情報 原本
内容 薬師寺永可書状(1723・8月27日・音首座宛)、上原郷名々畠流失注文(1724・8月28日)、竜谿院永広書状(1725・8月28日・東福寺納所都聞看寮宛)、上原郷百姓等申状(1726・8月28日・東福寺納所看寮宛)、石川道寿書状(1727・閏8月28日・永広宛)、上原郷百姓等申状(1728・9月23日)、東福寺都寺昌聞・納所源材連署書状(1729・9月24日・上原郷地頭宛)、上原郷年々未進目録(1730・9月日・東福寺納所都聞看寮宛)
編著者 釈永広〔竜谿院永広〕、受眷・竜松・源致・啓福、文勇、石川昌秀・庄貞光、玄作
刊写情報 原本、写本
内容 竜谿院永広書状(1731・10月4日・1732・10月23日・東福寺納所都聞看寮宛)、東福寺評定衆書状案(1733・11月1日・永広宛)、文勇書状(1734・11月3日・東福寺納所宛)、東福寺評定衆受眷・啓福連署書状案(1735・11月8日)、石川昌秀・庄貞光連署書状(1736・11月15日・永広宛)、給主源致・玄作連署書状(1737・11月20日・東福寺納所看寮宛)
編著者 源致・玄作、庄道賀・石川道寿
刊写情報 原本
内容 給主源致・玄作連署書状(1738・1739・12月8日・東福寺納所看寮宛)、庄道賀・石川道寿連署書状(1740・12月14日)、井手替地分注文(1741)、井手替地渡残分注文(1742)、上原郷関係包紙類(1743・3通)
編著者 北条長時・北条政村奉、北条宣時・北条貞時奉、北条久時・北条盛房、光厳天皇、常葉範貞・金沢貞将奉、安東蓮浄、覚有、高倉光守等奉、紀宗職、足利尊氏(長井宗衡奉・日野有範奉)、細川師氏、足利義詮(細川清氏奉)、北条時敦・金沢貞顕、北条時益・北条仲時奉、藤原尚時, 文応元年・永仁4年・5年・正和元年・元徳2年・3年・元弘2年・建武2年・3年・5年・延文5年
刊写情報 原本、写本
内容 関東下知状案(1744・文応元年9月18日・北条長時・北条政村奉)、関東下知状(1745・文応元年9月18日(後欠))、関東下知状案(1746・文応元年9月18日・北条長時・北条政村奉)、都志郷・美作勝賀茂郷地頭職関係文書案(1745・関東下知状案(永仁4年12月30日・北条宣時・北条貞時奉)・六波羅施行状案(永仁5年3月29日・北条久時・北条盛房))、都志郷関係文書案(1748・関東下知状案(永仁4年12月30日・北条宣時・北条貞時奉)・光厳院々宣案(建武3年10月26日・東福寺長老宛)・六波羅御教書案(元徳2年5月28日・常葉範貞・金沢貞将奉・安東蓮浄・大山又三郎宛)・安東蓮浄請文案(元徳2年6月28日)・淡路国目代沙弥覚有書状案(元弘2年10月7日)・雑訴決断所牒案(建武2年10月3日)・紀宗職請文案(建武2年11月11日)・足利尊氏御教書案(建武3年11月20日・長井宗衡奉・5年2月12日・日野有範奉・5年閏7月12日・日野有範奉・細川師氏宛)・淡路国守護細川師氏請文案(建武5年閏7月28日)・都志郷条々案・室町将軍〔足利義詮〕家御教書案(延文5年10月25日・細川清氏奉・細川業氏宛))、六波羅下知状(1749・正和元年5月8日・北条時敦・金沢貞顕奉)、六波羅御教書(1750・元徳2年3月20日・常葉範貞・金沢貞将奉・安東蓮浄・大山又三郎宛)、都志郷預所書下(1751・元徳2年12月11日)、六波羅御教書(1752・元徳2年2月24日・北条時益・北条仲時奉・安東蓮浄・大山又三郎宛)、藤原尚時書状(1753・元徳3年4月13日・淡路邦地頭御家人宛)
編著者 良尊、足利直義(康有奉)、細川師氏、門真寂真・昌元奉、(附)光厳天皇(勧修寺経顕奉), 弘安5年・11年・建武4年・暦応5年・康永3年・貞和3年・観応元年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:都志郷地頭得分注文断簡(1754・鎌倉期)、都志郷国衙方検注田数目録(1755・弘安5年)、足利直義奉行人奉書(1756・暦応5年4月6日・康有奉・東福寺長老宛)、園城寺所司等支状案(1757・康永3年4月日)、淡路国守護〔細川師氏〕禁制(1758・貞和3年3月9日)、細川師氏書状(1759・貞和3年11月6日・心都寺宛)、室町幕府奉行人連署奉書(1760・観応元年3月24日・門真寂真・昌元奉・園城寺宛)  附:光厳院々宣案(1757・建武4年12月26日)、都志郷惣検名寄帳案(1757・弘安5年)、都志郷検注目録案(1757・弘安11年2月日)
編著者 門真寂真・昌元奉、足利尊氏(仁木頼章奉等)、遠秀、細川氏春、佐々木高氏奉、真賀、足利義詮(細川清氏奉)、明尚, 永仁4年・観応元年・文和元年・2年・3年・延文元年・2年・5年・6年・応安7年・永和3年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:室町幕府奉行人連署奉書(1761・観応元年7月23日・門真寂真・昌元奉・園城寺宛)、都志郷公文職関係文書案(1762・室町将軍〔足利尊氏〕袖判下文案(文和元年12月27日・仙波実隆宛)・室町将軍〔足利尊氏〕家御教書案(文和2年2月22日・仁木頼章奉・細川氏春宛)・守護代遠秀請文案(文和2年10月8日))、守護代遠秀打渡状(1763・文和3年3月6日)、淡路国守護細川氏春請文案(1764・文和3年4月8日)、室町幕府引付頭人奉書(1765・延文元年6月24日・佐々木高氏奉・細川氏春宛)、都志郷雑掌真賀申状案(1766・延文5年8月)、室町将軍〔足利義詮〕家御教書(1767・延文5年10月25日・細川清氏奉・細川氏春宛)、淡路国守護〔細川氏春〕書下(1768・延文6年2月27日・近藤左衛門大夫入道宛)、淡路国守護〔細川氏春〕書下案(1769・延文6年2月27日・近藤左衛門大夫入道宛)、淡路国守護〔細川氏春〕書下(1770・延文6年3月2日・近藤左衛門大夫入道宛)、淡路国守護〔細川氏春〕書下案(1771・延文6年3月2日・近藤左衛門大夫入道宛)、都志郷夏畠散用状(1772・応安7年)、明尚書状(1773・永和3年2月19日・安井弾正宛)  附:関東下知状案(1766・永仁4年12月30日・北条宣時・北条貞時奉)、室町将軍〔足利尊氏〕御判御教書案(1766・延文2年9月7日・細川氏春宛)
編著者 足利義満(斯波義将奉)、真賀、細川氏春、明尚、勇心・明光、細川満春、(附)足利義詮(細川清氏奉)、足利尊氏、門真寂真・昌元奉、佐々木高氏奉、北条長時・北条政村奉, 文応元年・建武3年・観応元年・延文元年・5年・貞治3年・永徳2年・至徳元年・2年・3年・4年・明徳3年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:室町将軍〔足利義満〕家御教書(1774・永徳2年8月26日・斯波義将奉・守護宛)、都志郷雑掌真賀重申状案(1775・至徳元年5月)、淡路国守護〔細川氏春〕遵行状(1776・至徳元年10月10日・近藤勘解由左衛門尉宛)、都志郷雑掌真賀申状案(1777・至徳元年12月)、室町将軍〔足利義満〕家御教書(1778・至徳2年4月25日・斯波義将奉・守護宛)、明尚書下(1779・至徳3年3月24日)、勇心・明光連署請文(1780・至徳3年9月17日・東福寺都寺宛)、都志郷地頭方内検目録(1781・至徳3年9月17日)、都志郷地頭方内検目録(1782・至徳4年8月29日)、淡路国守護〔細川満春〕書下(1783・明徳3年12月23日・東福寺大勧進宛)  附:室町幕府引付衆奉書案(1775・貞治3年9月15日・細川氏春宛)、室町将軍〔足利義詮〕家御教書案(1776・延文5年10月25日・細川清氏奉・細川氏春宛)、足利尊氏御教書案(1777・建武3年11月20日・長井宗衡奉・細川師氏宛)、室町幕府奉行人連署奉書案(1777・観応元年7月13日・門真寂真・昌元奉・園城寺宛)、室町幕府引付頭人奉書案(1777・延文元年6月24日・佐々木高氏奉・細川氏春宛)、関東下知状案(1777・文応元年9月18日・北条長時・北条政村奉)
編著者 細川氏春、玄道・尚釣、足利義持(畠山基国奉・斯波義教奉)、足利義満(斯波義教奉)、細川氏春、細川氏有、細川満俊, 永徳2年・至徳元年・応永2年・5年・8年・9年・10年・11年・14年・15年・28年
刊写情報 原本、写本
内容 細川氏春書状(1784・12月3日・三郎宛)、都志郷地頭方内検目録(1785・応永2年9月)、淡路国一宮頭役支証文書案(1786・室町将軍〔足利義持〕家御教書案(応永5年9月18日・畠山基国奉・細川満俊宛)・室町将軍〔足利義満〕家御教書案(永徳2年8月26日・斯波義将奉・守護宛)・淡路国守護〔細川氏春〕遵行状案(至徳元年10月10日・近藤勘解由左衛門尉宛))、室町将軍〔足利義持〕家御教書(1787・応永8年4月22日・1788・応永9年5月4日・畠山基国奉・細川満久宛等)、室町将軍〔足利義持〕家御教書案(1789・応永10年5月2日・畠山基国奉・細川満久宛)、室町将軍〔足利義持〕家御教書(1790・応永11年11月19日・畠山基国奉・細川満久宛)、都志郷安堵文書(1791・室町将軍〔足利義持〕家御教書(応永14年4月23日・9月24日・斯波義教奉・細川満俊宛))、細川氏有書下(1792・応永14年12月6日・近藤中務丞宛)、室町将軍〔足利義持〕家御教書(1793・応永15年9月18日・斯波義教奉・細川満俊宛)、淡路国守護〔細川満俊〕書下(1794・応永28年12月26日)
編著者 浅見信玄奉、足利義教(細川持之奉)、細川満俊、吉川経信奉、吉川親経、東金等、釈永定〔安国寺永定〕・恵杲, 永享元年・嘉吉元年・享徳2年・長禄4年・文明11年
刊写情報 原本、写本
内容 浅見信玄奉書(1795・永享元年9月12日)、浅見信玄奉書案(1796・永享元年9月12日)、室町将軍家御教書并淡路国守護遵行状(1797・室町将軍〔足利義教〕家御教書(嘉吉元年3月12日・細川持之奉・細川満俊宛)・淡路国守護〔細川満俊〕遵行状(嘉吉元年4月19日・東掃部助宛))、浅見信玄奉書(1798・嘉吉元年11月13日・真壁四郎左衛門尉宛)、吉川経信奉書案(1799・享徳2年10月8日・久米宛)、吉川親経奉書案(1800・長禄4年4月2日・近藤彦太郎宛)、吉川親経打渡状案(1801・文明11年3月9日・広田左京亮宛)、納所東金借用状案(1802・文明11年3月15日)、都志郷地頭方内検帳(1803・文明11年閏9月2日)
編著者 玄桂、釈永定〔安国寺永定〕、吉川親経、東金・見宝
刊写情報 原本、写本
内容 玄桂書状(1804・2月3日・東福寺都寺宛)、某消息(1805・3月15日・岡殿宛)、荘主永定書状(1806・4月10日・1807・5月3日・東福寺納所看寮宛)、吉川親経書状案(1808・5月11日・都志与七宛)、納所東金・見宝連署書状案(1809・5月11日・永定宛)
編著者 釈永定〔安国寺永定〕、浅見信玄、吉川経信、梅谷親重、明尚、東金・見宝
刊写情報 原本、写本
内容 荘主永定書状(1810・8月28日・東福寺納所看寮宛)、浅見信玄施行状(1811・9月28日・近藤宛)、吉川経信奉書案(1812・10月2日・広田出羽守宛)、荘主永定書状(1813・10月24日・東福寺納所看寮宛)、寺官某置文案(1814・11月9日)、梅谷親重奉書案(1815・11月9日・評定衆宛)、明尚書状(1816・12月1日)、納所東金・見宝連署書状案(1817・9月8日・杲公監寺宛)、一宮頭役支証等包紙(1818)
編著者 北条宣時・北条貞時奉、北条宗方・北条宗宣, 永仁6年
刊写情報 原本
内容 関東御教書(1819・永仁6年2月3日・北条宣時・北条貞時奉・東福寺長老宛)、六波羅施行状(1820・永仁6年9月1日・北条宗方・北条宗宣)
編著者 矢野倫綱、守邦親王(北条高時・金沢貞顕奉)、大内盛見(安富永選・杉重貞・問田道琳奉)、素山・祖寅・通周・玄知・浄音・尚翼・祥玉・殊音・徳盈、又二郎左近、八郎、湖心士鏡・厳陽聖香・玄胎・与可心交・金渓寿范, 延慶2年・元応元年・貞治4年・応永11年・21年・22年・32年
刊写情報 原本、写本
内容 矢野倫綱奉書案(1821・延慶2年12月21日・東福寺長老宛)、鎌倉将軍〔守邦親王〕家寄進状(1822・元応元年閏7月18日・北条高時・金沢貞顕奉・東福寺宛)、某施行状案(1823・貞治4年4月22日・森余三宛)、周防国守護〔大内盛見〕老臣衆連署奉書(1824・応永11年12月21日・安富永選・杉重貞・問田道琳奉・問田備中入道・弘中太郎入道・中村晶阿弥陀宛)、周防国守護代等連署打渡状(1825・応永11年12月24日)、東福寺知事連署用途下行状(1826・1827・応永21年8月17日)、尼崎道泉代官又二郎左近年貢米請取状(1828・応永22年5月9日)、尼崎九郎代官八郎年貢米請取状(1829・応永22年5月9日)、上得地保下村福禅寺住持職補任状案(1830・応永32年6月19日)
編著者 後嵯峨天皇(藤原忠方奉)、成光、北条時敦・金沢貞顕、土屋秀遠、松田秀貞、佐々木秀貞、佐々木高氏〔佐々木導誉〕、自勝、聖璨、京極高光、布施英基・清貞秀奉、元朔, 文永5年・応長元年・正和元年・正平9年・明徳3年・文明10年
刊写情報 原本、写本
内容 後嵯峨院々宣(1831・文永5年5月14日・藤原忠方奉・五辻三位宛)、御内村一分地頭奈子宗重代成光和与状(1832・応長元年6月13日)、六波羅下知状(1833・応長元年7月7日・1834・正和元年7月27日・北条時敦・金沢貞顕奉)、土屋秀遠請文(1835・正平9年8月9日)、松田秀貞請文(1836・正平9年8月23日)、佐々木秀貞請文(1837・正平9年8月25日)、法喜・末次荘書状案(1838・佐々木道誉書状案(5月21日・隠岐入道宛)・自勝書状案(8月12日・上村兵庫助・吉富新左衛門尉宛))、西堂聖璨請文(1839・明徳3年11月26日)、出雲国守護京極高光書状(1840・12月21日・東福寺宛)、室町幕府奉行人連署奉書(1841・1842・文明10年3月15日・布施英基・清貞秀奉・京極政高宛等)、末次荘政所元朔書状包紙(1843)
編著者 布施英基・清貞秀奉、櫛橋則伊・阿閉重能・馬場則家奉, 文明10年
刊写情報 原本
内容 室町幕府奉行人連署奉書(1844・文明10年3月15日・布施英基・清貞秀奉・当所名主沙汰人宛)、赤松家老臣連署打渡状(1845・文明10年8月10日・櫛橋則伊・阿閉重能・馬場則家ほう・広岡民部少輔宛)
編著者 正歓、釈大純〔光福寺大純〕
刊写情報 原本、写本
内容 荘主正歓書状(1846・9月8日・東福寺都聞看寮宛)、光福寺大純書状(1847・9月11日)
編著者 九条道家、足利義満、九条忠基、照厳、忠厳、一条経通、釈智海〔密厳院智海〕、(裏)資直、瑞, 建長2年・建武3年・貞和3年・応安6年・至徳2年・応永元年・文明16年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:光明峯寺重書案(1848・九条道家初度惣処分状抄出(建長2年11月)・足利義満御内書案(応永元年11月23日・厳中周〓宛))、九条道家初度惣処分状抄出(1849・建長2年11月日)、光明峯寺関係文書写(1850・前関白〔九条忠基〕家御教書写(至徳2年2月9日)・照厳書状写(応安6年5月21日・一条宛)・忠厳書状写(9月14日・九条宛)・某譲状写(建武3年2月25日)・前関白〔一条経通〕家御教書写(貞和3年3月9日))、密厳院智海申状案(1851・文明16年8月日)、密厳院智海巻数記案(1852・文明頃)  裏:資直書状(1849)、瑞書状(1849・11月7日・竹原兵部少輔宛)
編著者 釈公遍〔成身院公遍〕、釈厳秀〔密厳院厳秀〕、釈智海〔密厳院智海〕, 延徳3年・明応7年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:光明峯寺年中行事(1853・延徳3年9月吉日)、成身院公遍注進状(1854・明応7年4月24日)、光明峯寺年預密厳院厳秀書状案(1855・9月13日・唐橋宛)、某問状案(1856)、某書状(1857)、密厳院智海申状案(1858)、密厳院智海申状案(1859)  裏:某仮名消息(1855)
編著者
刊写情報 原本
内容 一音院院主置文并院領目録(1860・一音院院主置文(正和5年7月27日)・一音院領目録(正和5年7月27日))
編著者 九条満教、九条道教、唐橋在治、石井在利、竹原定雄、唐橋在満奉, 元亨3年・応永7年・永享2年・11年・12年・文明16年・文亀2年・永正11年・12年・14年・15年
刊写情報 原本、写本
内容 九条家代々御教書案(1861・九条満教御判御教書案(永享11年2月4日・2年3月23日)・九条某御判御教書案(応永7年12月23日・7月28日)・禅定殿下〔九条道教〕家御教書案(元亨3年3月4日)・九条満教御判御教書案(永享12年3月4日)・九条某副状案)、唐橋在治去渡状(1862・文明16年3月16日・白川富秀宛)、一音院領夏地子算用状(1863・文亀2年7月27日)、一音院領地子算用状(1864・永正11年3月21日)、一音院領代官職関係文書案(1865・竹原定雄奉書案(永正12年5月16日・赤松下野守宛・垣屋宛・馬場宛))、一音院領地子算用状(1866・永正14年正月16日)、九条家敷地売券案(1867・永正15年5月28日)、某書状案(1868・享禄年間2月9日・富小路資直宛)、唐橋在治書状案(1869)
編著者 九条尚経(唐橋在満奉等)、永誉、唐橋在満, 大永5年・8年
刊写情報 原本、写本
内容 九条尚経下知状案(1870・大永5年9月28日・妙観院宛)、永誉書状(1871・大永8年6月2日・唐橋在満宛)、唐橋在満書状案(1872・大永8年7月17日・桂昌庵宛)、九条尚経書状草案(1873・1874・大永8年8月3日・報恩寺宛)
編著者 釈桂林〔桂昌庵桂林、栴湖桂林〕、釈東興〔海蔵院東興、叔竜東興〕、釈恵椿〔桂昌庵恵椿〕・釈桂乗〔常楽庵桂乗〕等、釈瑞琇〔叔薀瑞琇〕・釈英広〔月渓英広〕・釈英珊等、唐橋在満、釈公遍〔成身院公遍〕
刊写情報 原本、写本
内容 維那桂林書状(1875・5月22日)、海蔵院東興書状(1876・5月22日・宗春門徳宛)、桂昌庵桂林書状(1877・6月4日・叔竜東興宛)、桂昌庵恵椿等連署申状(1878・7月5日・彭叔守仙宛)、桂昌庵桂林等連判状(1879・7月17日・広橋宛)、唐橋在満奉書(1880・8月3日・報恩寺宛)、唐橋在満奉書案(1881・5月日・報恩寺宛)、某書状(1882・19日・1883)、某消息(1884)、成身院公遍書状(1885・5月10日)
編著者 釈永幸〔惟天永幸〕、細川藤孝〔細川幽斎〕、釈空盛〔観智院空盛〕、正親町天皇御製、一牛, 天正7年・14年・15年・17年
刊写情報 原本、写本
内容 常楽庵永幸香典請取状(1886・天正7年10月23日)、某書状案(1887・天正14年10月12日)、善恵軒関係文書案(1888・某書状案(天正14年10月12日)・善恵軒規式案(天正14年12月20日)・細川藤孝書状案(天正14年12月20日・石井宛)・某書状案(不二庵宛)・観智院空盛書状案(石井宛)・某書状案(天正14年12月20日・宝輪院宛)・良香湯処方箋・観智院空盛書状案(天正14年12月25日・不二庵宛)・善恵軒注文案・正親町天皇御製写(天正13年6月25日)・観智院空盛書状案(天正14年12月25日・不二庵宛)・善恵軒覚書(天正15年10月5日)・某申状案(天正17年6月10日))、観智院空盛書状(1889・天正14年ヵ12月25日・石井宛)、一牛書状(1890・天正17年11月20日)
編著者 釈永哲〔惟杏永哲〕・釈光璞〔献甫光璞〕、釈空盛〔観智院空盛〕・釈永雄〔十如院永雄、英甫永雄〕、三郎兵衛、釈光沢〔天倫光沢〕、釈善樟〔笑隠善樟〕
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:東福寺永哲・光璞連署書状(1891・2月9日・矢野宛)、観智院空盛・十如院永雄連署書状(1892・6月1日)、三郎兵衛書状(1893・6月1日)、東福寺天倫光沢消息(1894・1日・1895・21日)、善恵軒〔笑隠〕善樟消息(1896)、善恵軒規式案(1897・1898)、善恵軒注文案(1899)、善恵軒〔笑隠〕善樟料足請取状(1900)  裏:妙書状(1897・3日)
編著者 石井長親、釈兆秀〔金光院兆秀〕, 永正2年等
刊写情報 原本
内容 石井長親書状(1901・永正2年3月13日・白川富秀宛)、金光院兆秀書状(1902・10月28日・白川富秀宛)
編著者 芝盛親、釈覚阿〔九品寺覚阿〕, 永正15年・大永6年
刊写情報 原本、写本
内容 成恩寺開田注文(1903・永正15年6月10日)、九品寺覚阿書状(1904・大永6年8月3日・唐橋宛)
編著者 行時奉、釈道静、光綱、俊泰奉、すけとう、釈そう光, 建武4年・貞和5年・観応3年・貞治5年・応永6年・33年・永享8年・延徳元年
刊写情報 原本、写本
内容 某奉書(1905・建武4年9月27日・1906・貞和5年10月29日・1907・観応3年7月24日)、行時奉書(1908・貞治5年9月16日)、ほうしやう房尊静御湯足田寄進状(1909・応永6年10月27日)、不断光院領田数注文(1910・応永33年12月日・1911・永享8年9月12日)、不断光院領并番匠給分坪付(1912・永享8年9月12日)、俊泰奉書案(1913・延徳元年12月10日・平野新五郎宛)、番匠給分地目録案(1914)、すけとう消息(1915・10月14日)、不断光院そう光消息包紙(1916)
編著者 後深草天皇(中御門為方奉)、花園天皇(吉田定資奉等)、光厳天皇(柳原資明奉)、章善門院〔永子内親王〕、如光、平亀王丸・専空、知阿, 永仁5年・嘉暦2年・暦応4年・延文2年・応安2年・永和2年・明徳元年
刊写情報 原本、写本
内容 後深草院々宣(1917・永仁5年10月23日・中御門為方奉・二条宰相宛)、花園院々宣(1918・嘉暦2年閏9月18日・1919・嘉暦2年閏9月26日・吉田定資奉・前左京権大夫宛)、光厳院々宣(1920・暦応4年11月9日・柳原資明奉・前右兵衛佐宛)、章善門院〔永子内親王〕寄進状案(1921・延文2年2月24日)、尼如光置文(1922・応安2年6月17日・閑王宛・1923・応安2年6月17日・法如宛)、平亀王丸請文案(1924・永和2年閏7月10日)、知阿所務職請文(1925・明徳元年8月28日)
編著者 後小松天皇(勧修寺経豊奉・正親町実秀奉)、深勝、崇光天皇、飯尾兼行・布施基連、垣屋熙続、出雲実円, 康曆元年・応永4年・5年・9年・12年・16年・18年・嘉吉2年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:後小松天皇綸旨(1926・応永5年10月2日・勧修寺経豊奉・不断光院長老宛)、不断光院新田荘預状案(1927・応永9年7月22日)、不断光院雑掌目安案并副進文書案(1928・応永12年11月日)、後小松天皇綸旨(1929・応永16年11月4日・正親町実秀奉・不断光院長老宛)、後小松天皇綸旨案(1930・応永16年11月4日・正親町実秀奉・不断光院長老宛)、室町幕府奉行人連署奉書(1931・応永18年4月25日・飯尾兼行・布施基連奉・不断光院宛)、垣屋熙続代官職請文(1932・嘉吉2年6月14日・万里小路宛)、新田新本荘并不断光院領等月宛注文(1933・嘉吉2年6月14日)、某書状断簡(1934)、出雲実円書状(1935・10日・百姓宛)、新田本荘文書目録案(1936)  附:深勝房請文案(1928・応永4年12月8日)、崇光院々宣案(1928・康曆元年6月17日・楽生宛)、後小松天皇綸旨案(1928・応永5年10月2日・不断光院長老宛)
編著者 釈成賢〔遍智院成賢〕、伏見天皇(平仲親奉)、九条忠教(九条光経奉・唐橋在雅奉)、九条経教(橘以季奉・唐橋公熙奉等)、九条政基(唐橋在数奉)、九条尚経(白川富安奉)、九条兼孝(唐橋在通奉)、唐橋在数、釈隆勝, 寛喜3年・正和2年・文保元年・文和2年・延文4年・貞治3年・延徳2年・永正2年・天正8年
刊写情報 原本、写本
内容 遍智院成賢譲状(1937・寛喜3年8月20日)、伏見院々宣(1938・正和2年4月1日・平仲親奉・九条光経宛)、九条家代々御教書案(1939・禅定殿下〔九条忠教〕家御教書案(正和2年2月13日・9月30日・九条光経奉・釈迦院宛・文保元年5月12日・唐橋在雅奉・左衛門督禅師宛)・左大臣〔九条経教〕家御教書案(文和2年3月23日・橘以季奉・隆憲宛)・関白〔九条経教〕家御教書案(延文4年7月18日・唐橋在熙奉・経源宛)・前関白〔九条経教〕家御教書案(貞治3年8月1日・唐橋公熙奉・隆源宛)・前関白〔九条政基〕家御教書案(延徳2年10月29日・唐橋在数奉・公深宛)・関白〔九条尚経〕家御教書案(永正2年2月13日・白川富安奉・源雅宛)・関白〔九条兼孝〕家御教書案(天正8年8月28日・唐橋在通奉・雅厳宛))、九条経教御教書案(1940・前関白〔九条経教〕家御教書案(貞治3年8月1日・唐橋公熙奉・隆源宛)・左大臣〔九条経教〕家御教書案(文和2年3月23日・信憲宛)・関白〔九条経教〕家御教書案(延文4年7月18日・唐橋公熙奉・経源宛))、唐橋在数書状(延徳2年10月26日))、勝倶胝院相承安堵状案(1942・前関白〔九条政基〕家御教書案(延徳2年10月29日・唐橋在数奉・公深宛)・前関白〔九条経教〕家御教書案(貞治3年8月1日・唐橋公熙奉・隆源宛)・左大臣〔九条経教〕家御教書案(文和2年3月23日・隆憲宛)・関白〔九条経教〕家御教書案(延文4年7月18日・唐橋公熙奉・経深宛)・前関白〔九条経教〕家御教書案(貞治3年8月1日・隆源宛)・隆勝僧都譲状案(正和2年12月11日))
編著者 釈実応、釈賢深〔報恩院賢深〕、釈源雅〔報恩院源雅〕、釈尭厳〔西往院尭厳〕, 明応3年・5年・永正5年・9年・大永5年・6年・享禄2年・天文3年・天正4年
刊写情報 原本
内容 民部上座実応山木送状(1943・明応3年9月10日・白川宛)、報恩院賢深書状(1944・明応3年9月14日・1945・明応5年9月24日・白川宛)、報恩院源雅書状(1946・永正5年10月29日・白川宛)、勝倶胝院本役送状(1947・永正9年10月26日)、報恩院源雅書状(1948・大永5年10月・唐橋宛)、勝倶胝院本役送状(1949・大永6年10月28日・1950・享禄2年10月15日・1951・天文3年10月2日)、勝倶胝院山手以下代官職請文(1952・天正4年12月19日)
編著者 釈尭厳〔西往院尭厳〕、円相、釈義演、九条兼孝(唐橋在通奉), 天正4年・5年・7年・8年
刊写情報 原本、写本
内容 勝倶胝院領年貢算用状(1953・天正4年12月12日)、勝倶胝院分年貢米請取状案(1954・天正4年12月12日)、勝倶胝院山地子算用状(1955・天正4年12月日)、勝倶胝院地子米請取状案(1956・天正5年3月12日)、勝倶胝院山上分年貢米算用状(1957・天正5年3月12日)、勝倶胝院山上山下年貢米算用状案(1958・天正7年9月15日)、勝倶胝院年貢米算用状(1959・天正7年10月18日)、円相消息(1960・天正7年)、醍醐寺座主義演書状(1961・天正8年8月28日・唐橋在通宛)、関白〔九条兼孝〕家御教書案(1962・天正8年8月28日・報恩院雅厳宛)、円相消息(1963・天正8年9月1日)、某進上目録(1964・天正8年9月1日)、勝倶胝院山上山下年貢米算用状案(1965・天正8年9月3日)、勝倶胝院納帳包紙(1966)
編著者 南里与左衛門・泉保彦衛門・開出孫兵衛、釈尭厳〔西往院尭厳〕、伊藤吉次、釈源雅〔報恩院源雅〕, 天正9年・10年・17年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:勝倶胝院山上山下年貢米算用状(1967・天正9年9月2日・1968・天正10年9月25日)、南里与左衛門等請文(1969・天正10年10月20日・田中吉之・三上重満宛)、勝倶胝院分年貢米算用状案(1970・天正10年10月29日)、勝倶胝院役者申状草案(1971・天正17年12月20日)、勝倶胝院役者申状案(1972・天正17年12月20日)、西往院尭厳書状(1973・9月6日・1974・9月14日・山崎吉兵衛宛・1975・9月17日・1976・9月26日)、伊藤吉次書状(1977・10月30日)、尭□書状(1978・12月12日・山崎・矢嶋宛)、報恩院源雅書状(1979・18日・唐橋宛)  裏:某消息書きさし(1971)
編著者 釈成賢〔遍智院成賢〕、真阿弥陀仏、浄意、信願、小坂禅尼、釈道禅・釈浄真・釈道教・釈孝賢・釈憲深・釈行誉・釈円慶、釈栄円、(奥書)九条道房, 貞応2年・寛喜3年・天福元年・建長4年・文永4年・応長元年・貞治3年、(奥書)寛永21年7月7日
刊写情報 原本、写本
内容 醍醐勝倶胝院文書案(1980・勝倶胝院文書目六案・遍智院成賢譲状案(寛喜3年8月20日)・真阿弥陀仏譲状案・浄意譲状案(建長4年8月20日・信願宛)・信願譲状案(文永4年11月7日・久我姫御前宛)・小坂禅尼仮名譲状案(応長元年8月7日・万里小路宛)・真阿弥陀仏文書紛失状案(天福元年11月日)・勝倶胝院田畠注文案(貞応2年7月日)・勝倶胝院山林田畠注文案(貞治3年8月1日))
編著者 釈義演等
刊写情報 原本
内容 醍醐寺座主義演書状(1981・1982・九条宛・1983・尊聖宛)、三宝院某消息(1984・1985・九条宛)
編著者 九条忠基(光教奉)、飯尾清房・飯尾元行奉、飯尾清房・諏訪貞通奉、唐橋在名奉、渡辺二郎九郎、二条家北政所、長谷川清右衛門・石井市介・西村帯刀左衛門・小原新王、石井三郎左衛門、九条兼孝, 至徳2年・明応3年・4年・永正6年・天正8年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:前関白〔九条忠基〕家御教書案(1986・至徳2年2月9日・随心院僧都宛)、室町幕府奉行人連署奉書案(1987・明応3年12月21日・飯尾清房・飯尾元行奉・1988・明応4年12月27日・飯尾清房・諏訪貞通奉・三宝院宛)、唐橋在名奉書案(1989・永正6年2月9日・今村弥七宛)、関白〔九条尚経〕家雑掌申状案(1990・永正6年10月日)、三宝院某消息(1991・天正8年5月18日)、二条家北政所消息(1992・天正8年5月20日)、三宝院某消息(1993・天正8年5月24日・九条宛)、随心院屋敷畠地子銭注文案(1994・天正8年5月25日)、随心院旧跡指図(1995・天正8年6月4日)  裏:渡辺二郎九郎書状(1989・12月29日)
編著者 前田玄以、兵部卿定快・本間兼祐等・田中吉之、釈増孝〔随心院増孝〕, 天正8年・15年・18年・慶長2年・4年・6年
刊写情報 原本、写本
内容 三宝院某消息(1996・天正8年6月5日・1997)、前田玄以書下案(1998・天正15年12月21日・物集女百姓宛)、三宝院某消息(1999・天正18年)、前田玄以書状(2000・慶長2年4月9日・三上重満宛)、兵部卿定快等連署書状(2001・慶長2年4月10日・赤津彦右衛門・三上重満宛)、九条家雑掌田中久左衛門覚書(2002・慶長4年5月15日・三十郎宛)、随心院門主命名文書案(2003・大法師増孝申文案(慶長6年正月26日)・随心院門跡命名勘文案(慶長6年正月26日))
編著者 釈尭快、ひかしもんせん、正しゆんあん、前田玄以、富小路俊通、釈忠厳、釈宗秀〔宝泉院宗秀〕
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:随心院関係書状案(2004・某書状案(2月26日・前田玄以宛)・某書状案(2月・唐橋宛))、尭快書状案(2005・7月13日)、正しゆんあん奉書(2006・8月12日・御ちゃ宛)、前田玄以書状(2007・9月23日・三上重満宛)、九条家某書状案(2008・10月晦日・帥大納言宛)、富小路俊通書状(2009・11月24日・唐橋在満宛)、忠厳書状(2010・11月26日・白川宛)、宝泉院宗秀書状(2011・12月12日・富嶋正成宛)、□竜書状(2012・12月17日・西室宛)  裏:ひかしもんせん消息(2005)、某消息(2008)
編著者 二条晴良、芝徳盛・本間戒雲、釈忠厳、釈義演、九条兼孝
刊写情報 原本、写本
内容 二条晴良書状(2013・12月19日)、芝徳盛・本間戒雲連署書状(2014・12月20日・矢野以清宛)、忠厳書状(2015・12月23日)、某消息(2016・20日・九条宛・2017・24日)、随心院分算用状案(2018)、醍醐寺座主義演消息(2019)、某書状案(2020・西山三鈷寺衆僧宛)、某消息(2021・北政所宛)、九条兼孝書状案(2022)
編著者 安井三郎五郎、釈統円〔往生院統円〕、市原国春、九条尚経、吉田光清、白川富秀、信濃小路長盛、石井在利、福乗坊、太郎衛門, 延徳3年・明応4年・永正4年・6年・8年・9年・14年
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:安井三郎五郎請文案(2023・延徳3年12月10日)、往生院統円巻数(2024・明応4年5月16日)、市原国春書状案(2025・市原国春書状案(永正4年9月16日・吉田隼人宛・9月7日・往生院百姓宛))、九条尚経袖判借用状(2026・永正6年10月7日)、九条尚経袖判山林田畠売券(2027・永正6年10月7日)、吉田光清請文案(2028・永正6年10月9日・白川富秀宛)、九条家奉行人奉書(2029・永正8年2月11日・清凉寺福乗坊宛・2030・永正8年10月7日・往生院百姓宛・白川富秀奉)、信濃小路長盛書状案(2031・永正9年正月13日)、九条尚経御内書草案(2032・永正9年4月17日・信濃小路長盛宛)、石井在利・信濃小路長盛連署借用状案(2032・永正9年4月16日・吉田忠兵衛宛)、吉田忠兵衛尉下行方算用状(2034・永正9年4月19日)、福乗坊請文(2035・永正9年4月20日・信濃小路長盛宛)、九条尚経袖判山林田畠売券案(2036・永正9年4月21日・石井在利・信濃小路長盛奉)、太郎衛門請文(2037・永正14年10月28日・矢野在清宛)  裏:某消息(2025・北政所宛)
編著者 角倉了以、福乗坊、九条尚経, 文禄5年等
刊写情報 原本、写本
内容 角倉了以譲状案(2038・文禄5年2月10日・伊藤織部宛)、角倉了以書状案(2039・文禄5年3月26日・伊藤織部宛)、福乗坊書状(2040・2月18日・石井在利・信濃小路長盛宛・2041)、九条尚経往生院関係文書覚書(2042・永正7年―9年)、某書状草案(2043)
編著者 釈慶政、釈経尊, 文永3年・嘉暦2年
刊写情報 原本
内容 法花山寺慶政譲状(2044・文永3年2月18日)、法花山寺一和尚経尊書状(2045・嘉暦2年5月11日・石井政安ヵ宛)
編著者 後醍醐天皇(中御門経季奉)、足利直義、足利尊氏(高師直奉等)、性善・種安、伊王友茂、有信・伊王資茂・伊王信茂, 建治2年・乾元2年・建武2年・3年・康永元年・永和4年
刊写情報 原本、写本
内容 物集女荘内田地山野関係文書案(2046・後醍醐天皇綸旨案(建武2年4月19日・中御門経季奉・法花山寺僧衆宛)・足利直義裁許下知状案(康永元年7月17日)・足利直義御教書案(康永元年12月19日・法花山寺供僧宛)・足利尊氏御判御教書案(建武3年7月18日・法花山寺僧衆宛)・足利尊氏御教書案(建武3年10月2日・高師直奉・佐野彦七郎入道宛)・性善・下司種安連署書下案(永和4年12月27日)・伊王友茂寄進状案(建治2年2月・法花山寺宛)・伊王信茂寄進状案(乾元2年2月22日))
編著者 足利義満、釈良瑜・釈真快、足利義教、足利義持、足利尊氏、釈玄親〔阿弥陀院玄親〕, 文和3年・永徳2年・応永13年・16年・17年・永享4年・大永3年
刊写情報 原本、写本
内容 足利義満御判御教書案(2047・応永13年6月6日)、法華山寺領文書預状(2048・応永17年4月13日・年預良瑜・月行事真快・唐橋在豊宛)、室町将軍家代々安堵御教書案(2049・足利義教御判御教書案(永享4年7月22日)・足利義持袖判御教書案(応永16年9月28日)・足利義満御判御教書案(永徳2年8月22日)・足利尊氏御判御教書案(文和3年8月10日))、法花山寺阿弥陀院玄親書状(2050・大永3年12月2日・唐橋在満宛)
編著者 釈任親・釈良範・釈宗順・釈実度・釈実儼・釈重祐・釈延海・釈実憐・釈信海・釈盛重・釈弘意・釈秀芸・釈盛縁等、釈正根〔実相坊正根〕、柏原政久, 正和5年・明応7年・文亀2年・永禄元年
刊写情報 原本、写本
内容 東南院絵図(2051・正和6年正月9日)、東南院家再興起請案(2052・明応7年8月24日)、実相坊正根書状(2053・文亀2年8月11日・竹原定雄宛)、柏原政久書状(2054・永禄元年10月22日・東南院庁務代宛)
編著者 富小路俊通、矢野数清・石井数安奉、白川富秀奉、実相坊、貞治、(裏)九条しんゑ, 慶長20年等
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:東南院門徒衆申状(2055・3月21日・波々伯部宛)、東南院関係書状案(2056・九条家奉行人某書状案(4月7日・富小路俊通宛)・富小路俊通書状案(4月10日・波々伯部宛))、九条家奉行人連署書下草案(2057・4月20日・矢野数清・石井数安奉・東南院宛)、某書状草案(2058・5月1日・富小路俊通宛)、東南院門跡関係文書案(2059・九条家奉行人奉書案(5月20日・白川富秀奉・古市播磨律師宛)・九条家々司某副状案(5月28日・実相坊宛)・実相坊書状案(5月28日・古市七郎左衛門尉宛))、貞治書状案(2060・9月15日)、東南院某院家絵図(2061・室町末期)、官宣旨案(2062・慶長20年4月6日・東大寺宛)  裏:九条しんゑ消息断簡(2058)、某書状案(2059)
編著者 柳本賢治、富小路資直、俊二等、釈宣舜〔多門院宣舜〕, 大永5年等
刊写情報 原本、写本
註記等 内容:大乗院門跡雑掌申状案(2063・大永5年5月26日)、柳本賢治書状(2064・2月26日・唐橋宛)、某書状(2065・2月・唐橋宛)、大乗院家奉行衆等書状(2066・6月2日・大田越前守宛)、法橋某書状(2067・閏6月20日・山本佐渡守宛)、大乗院門跡書下案(2068)、大乗院・掌善院紛争関係文書案(2069・某書状案(5月・供目代宛・筒井順興宛・越智民部少輔宛))、大乗院寺官連署書状(2070・9月27日)、多門院宣舜書状包紙(2071・唐橋宛)、蔵人寺主・伊予寺主書状包紙(2072・矢野以清ヵ宛)  裏:富小路資直消息(2068)
編著者
刊写情報 原本、写本
内容 多武峯検校・三綱等書状(2073・2月22日・信濃小路長盛宛)、某書状草案(2074・10月2日・多武峯目代宛)
編著者 藤原長兼等奉, 建仁元年
刊写情報 原本
内容 太政官牒(2075・建仁元年7月14日・証真如院宛)
編著者 源通親・藤原忠経・藤原宗頼・藤原信清等奉, 建仁元年
刊写情報 原本
内容 後鳥羽院庁下文(2076・建仁元年7月日・守富荘官等宛)
編著者 九条尚経, 永正15年・大永元年
刊写情報 原本、写本
内容 泉涌寺荒神勧進帳案(2077・永正15年5月吉日)、泉涌寺荒神料所寄進地目録案(2078・大永元年12月12日)
編著者 釈隆増, 応仁2年
刊写情報 原本
内容 知恩院隆増置文(2079・応仁2年9月27日)
編著者
刊写情報 原本
内容 金輪寺領目録(2080・(尾欠))
編著者
刊写情報 原本、写本
内容 太政官牒案(2081・弘安4年5月26日・西琳寺宛)