ギャラリー (R06.08.01更新) 仁徳天皇陵平面図 (「陵墓資料(図帖類)御陵図」のうち) (宮内公文書館) 明治12年(1879)10月の測量調査に基づき、精密かつ彩色で描かれた、仁徳天皇陵の平面図。陵墓が所在する府県によって測量調査が行われ、陵墓の実測図(平面図・鳥瞰図)が宮内省へ提出された。本資料には「... 続きを読む #明治時代 #大正時代 #近畿地方 #大阪 #絵図面 #災害 甲冑図 (「仁徳天皇御陵前方部発見甲冑之絵図/明治5、大正14、昭和3年写」のうち) (宮内公文書館) 明治5年(1872)9月、仁徳天皇陵の前方部中段において石室が露出した。本資料はこの時に出土した副葬品のうち、甲冑を描いた図である。冑は「総体銅鍍金(めっき)」の小札鋲留眉庇付冑(こざねびょうどめまび... 続きを読む #明治時代 #大正時代 #昭和時代 #近畿地方 #大阪 #絵図面 #武具 #災害 英文制札 (「陵墓資料(繪図類)英文制札」のうち) (宮内公文書館) 陵墓の拝所付近に設置された、銃猟を禁じる英文制札の絵図写しである。陵墓制札は江戸時代から存在していたが、明治6年(1873)に初めて陵墓制札の雛形が定められ、英文・仏文でも表記するように規定された。本... 続きを読む #明治時代 #昭和時代 #近畿地方 #大阪 #絵図面 #武具 #対外関係 #動物 諸陵寮ノ記録回復ニ付キ意見(草稿) (「陵墓資料(考説・考証資料)増田于信震災復旧関係草稿」のうち) (宮内公文書館) 大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災は、宮内省にも甚大な被害をもたらした。震災当時、諸陵寮は、和田倉門内にある帝室林野管理局庁舎の2階を事務室として使用していたが、この庁舎は震災により全... 続きを読む #大正時代 #江戸・東京 #近畿地方 #大阪 #人物 #文書 #災害 諸陵寮誌 (「諸陵寮誌1/文久2~明治15年」のうち) (宮内公文書館) 大正12年(1923)に発生した関東大震災により、陵墓の管理を担う諸陵寮の資料は、その多くを焼失することになった。諸陵寮の沿革などに関係する文書が編綴(へんてつ)されていた陵墓録や考証録なども震災によ... 続きを読む #明治時代 #大正時代 #江戸・東京 #文書 #災害 #制度 堺水族館立面図 (「第五回内国勧業博覧会図/明治」のうち) (宮内公文書館) 明治36年(1903)4月、明治天皇は大阪天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会に行幸になり、開会式で勅語を述べられた。改正条約実施後初の博覧会であるため諸外国からの出品も認められ、夜間には電灯による... 続きを読む #明治時代 #近畿地方 #大阪 #行幸・行啓 #絵図面 #建築 #動物 ギャラリーバックナンバーはこちら