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(選択を解除)(陵墓課)
京都府京都市右京区の宇多野福王子町から出土した耳飾りである。本資料の名称は色調から金環としているが、金環と書かれる場合には銀の芯材に鍍金(ときん)したもの、銀の含有量が多い金からできているもの等、材質には様々な可能性があり、必ず全てが純度の高い金でできているとは限らない点に注意が必要である。本資料は、純金特有の黄色みが薄く、破断面観察でも銀色であることから、銅芯を銀で覆い鍍金を施した銅芯銀張鍍金(どうしんぎんばりときん)製品の可能性がある。上述の材質については、肉眼観察以外に,蛍光X線分析により銅と銀が強く、金と水銀が微量に検出されたことも推定を裏付けるものである。
この耳飾りは、直径31㎜ほどの大きさで、断面の厚さは7.1㎜から7.4㎜である。平面形はやや楕円形であり、その断面形はほぼ正円形である。金属製耳飾りの断面は、飛鳥時代になると楕円形になることが知られており、本品はその形と大きさから古墳時代終わりごろの遺物と考えられる。
(陵墓課)
本資料は、海獣葡萄鏡と呼ばれる青銅製の鏡で、直径は13.6cm である。
海獣葡萄鏡は、中国の隋~唐代(7~8世紀)にかけて盛んに作られたもので、日本列島には飛鳥時代の末から奈良時代にかけて輸入された。有名なものとして、正倉院宝物や、奈良県高市郡明日香村の高松塚古墳(たかまつづかこふん)から出土したものなどがある。ただし、本資料は文様がやや不鮮明になっており、原鏡から型を取って新しい鋳型(いがた)を作る、「踏み返し(ふみかえし)」という手法によって作られたものとみられている。
海獣葡萄鏡という名称は、中国・清代の乾隆帝(けんりゅうてい)(在位:1736~1795)の時代につけられたものとされる。「海獣」というと、クジラやアザラシなど、海に生息する哺乳(ほにゅう)類を連想するが、ここでいう「海獣」はそうではなく、中国からみて「海の向こうの獣」という意味に解されている。
海獣葡萄鏡の文様は多様であるが、本資料では、中央の紐をとおす鈕(ちゅう)とその周囲の内区(ないく)にあわせて6頭の狻猊(さんげい)(=中国の伝説上の生き物でしばしば獅子(しし)と同一視される)、外区(がいく)に8羽の鳥、それぞれの隙間に葡萄唐草文(ぶどうからくさもん)、鏡の縁に花文が表現されている。
当部では、本資料と同時に出土したものとして、法相華文八花鏡(ほうそうげもんはっかきょう)1面、伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)1面、素文鏡(そもんきょう)2面を所蔵しているが、出土地の周辺地域に2面の海獣葡萄鏡が受け継がれており、それらも同時に出土した可能性がある。
(図書寮文庫)
本書は,和銅元年(708)に但馬国朝来郡(現在の兵庫県朝来市)の粟鹿(あわが)神社の祭主神部直(かんべのあたい)氏が朝廷に上申したとされる祭神粟鹿大明神の系図である。素戔嗚尊に始まり,大国主命を経て上申者の神部直根〓《門+牛》まで,29代の系譜が記されている。鎌倉時代の写しだが,紙を縦にし,特殊な記号や表現を用いて書き連ねる竪系図(たてけいず)と呼ばれる原初的な形態を伝える貴重なものである。