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(図書寮文庫)
本書は,中国・宋の太宗(939-97)の命により李昉(りぼう,925-96)が編纂した類書(百科全書)で,宋・太平興国8年(983)に完成した。天・地・皇王など55部門に分かたれて編纂されている。この本は,南宋時代の慶元5年(1199)前後に刊行された版本で,もと金沢文庫に伝来。のち京都の相国寺に伝わり,同寺の西笑承兌(さいしょうじょうたい,1548-1608)が徳川家康に献上したものである。この本の前半の数十冊は欠けている箇所があり日本で手書きで書写されている。今回は,南宋時代に印刷された冊を掲げた。『太平御覧』は,平安時代末期には平清盛らによって輸入されていたことが知られ,いく組かが日本にわたってきている。
(図書寮文庫)
本書は,孔子の『論語』を魏の何晏(かあん,?-249)が注釈し,宋の邢昺(けいへい,932-1010)が疏(そ,詳細な注釈)を加えて成ったものである。この本は,南宋の寧宗時代(12世紀末-13世紀)に刊行された版本で,もと金沢文庫に伝えられた。宋版の同書は,中国に遺っていなかったため,昭和4年(1929)にはこの本をもとにしたコロタイプ印刷(写真を使った特殊印刷)による複製が中国で出版されている。『論語』理解に資する注釈書として尊重されたものといえる。
(図書寮文庫)
本書は,中国漢の時代に司馬遷(しばせん,BC140-?)によって編纂された『史記』を南朝の宋(5世紀)の時代に裴駰(はいいん,生没年未詳)が,のち唐の時代にも司馬貞(しばてい,生没年未詳)らが注釈したもの。内容は130巻で目録1巻を付す。『史記正義』ともよばれる。この本は,室町時代後期の公卿にして学者であった三条西実隆(さんじょうにしさねたか,1455-1537)によって書写された写本43冊である。奥書(書写の経緯を記した文章)によれば永正7年(1510)から同15年にかけて書写し,子息公条(きんえだ,1487-1563)が訓点(漢文の読み方を示した符号)を写したことがわかる。
(図書寮文庫)
本書は,後光厳天皇(北朝第4代,御在位1352-71)の宸筆や関連文書をまとめたもので,5紙目(7番目の画像)以降が後光厳天皇の宸筆。画像は貞治元年(南朝は正平17年,1362),天皇25歳の時の書と考えられている。兄の崇光天皇が,その皇子栄仁親王(よしひと)の書道の手本のために名筆を所望されたことに対しての御返書と推測される。小野道風,嵯峨天皇,醍醐天皇等の書についての言及が見られ,当時名筆とされたものをうかがうことができ,書道史の面からも貴重な史料と言える。
(図書寮文庫)
本書は,後小松天皇(第100代,御在位1382-1412)宸筆による,応永17年(1410)8月29日に,山科教豊(やましなのりとよ,のちに家豊と改名)へ箏の秘曲「蘇合香」(そこう)を伝授されたことを証明する御伝授状で,天皇34歳の時の書。「蘇合香」は雅楽の曲の一つであり,インドのアショカ王(阿育王)が病に倒れた時,蘇合香という薬草を服用し,全快したことを喜んで曲を作ったことが由来である。序・三帖・四帖・五帖・破・急の六章からなっており,この時はそのうち四帖の拍子の取り方を伝授されたと考えられている。日付の下の書き付けは後小松天皇の御花押(署名を文様化したもの)。
(図書寮文庫)
本書は,後花園天皇(第102代,御在位1428-64)の宸筆をまとめたもので,画像は永享7年(1435)9月15日,父の貞成親王(さだふさ)に宛てられた御消息(手紙)。天皇17歳の時の書で,貞成親王書写の『金葉和歌集』等が天皇のもとへ献上されたことへの御礼と,和歌が「散らし書き」という書式で書かれている。紙の中途から書き始め,書き進めるにつれて余白に書いていくために次第に字も小さくなるため,大きな文字のグループから読んでいくことになる。
(図書寮文庫)
本書は,後土御門天皇(第103代,御在位1464-1500)の宸筆をまとめたもので,画像は文明13年(1481)9月13日,伏見宮邦高親王(くにたか)に宛てられたもの。天皇40歳の時の書で,親王が琵琶の秘曲「大常博士楊真操」(だいじょうはくしようしんそう)を伝授されたことにお祝いの言葉を述べられ,太刀を賜る旨が書かれている。「散らし書き」の書式で書かれており,本紙右側を3分の1ほど空けて書き始め,行の頭を段々下げて2グループ書き,さらに右端の下半分に続いている。
(図書寮文庫)
本書は,後柏原天皇(第104代,御在位1500-26)宸筆の色紙幅で,金・銀の薄と月の下絵に漢詩と古歌が散らし書きにされている。漢詩は出典未詳,和歌は4番目の勅撰和歌集『後拾遺和歌集』第235番歌(よみ人知らず)。薄,月は秋の景物であり,漢詩,和歌共に風による秋の到来を実感させるものが選ばれている。
(図書寮文庫)
本書は,後奈良天皇(第105代,御在位1526-57)宸筆の和歌懐紙で,永正9年(1512)七夕和歌御会の際に詠進された,天皇がまだ親王であった17歳の時の書と考えられている。歌は区切れとは関係なく3行と3文字に分けて書かれており,この書き方は現在の歌会始の懐紙でも受け継がれている。
(図書寮文庫)
正和5年(1316)6月作成。和泉国日根荘(ひねのしょう,日根野荘とも,現在の大阪府泉佐野市)は,摂関家である九条家の荘園であった。その荘園開発を一任された久米田寺(くめだでら)が基礎資料として作成した絵図。裏書によって年次が判明する。縦86.2cm,横58.4cm。その景観は現在に残され,日根荘遺蹟の一部は平成10年(1998)荘園遺跡として国史跡に指定された。関西国際空港はこの図の下方,西の方向に位置する。
なお,これを収めた九条家文書とは,九条家に伝来した文書群で,代々の譲状や所領など,家の経済や存続に関連する資料などを集めたもの。『図書寮叢刊』(全7冊,昭和46-52年)にて刊行。全326点。
(図書寮文庫)
明の皇帝神宗(万暦帝)が李宗城(りそうじょう)を正使として豊臣秀吉に宛てた明・万暦23年(文禄4年〈1595〉)1月21日付の勅諭(皇帝からの訓告)の原本。秀吉の出兵に対する具体的な講和条件などを述べた後,皇帝からの贈呈品リストを付す。なお,正使が逃亡したため,この勅諭がそのまま使われることはなかった。本紙は縦53.2cm,横172.8cm。掛幅全体の大きさは縦横ともに190cm程度で,畳2畳分を超える大きさである。本紙末尾の蔵書印により幕末の儒学者佐藤一斎(1772-1859)が所蔵していたことがわかる。
(図書寮文庫)
第108代後水尾天皇(御在位1611-29)の御落飾後を描いた掛幅。尾形光琳(1658-1716)画。後水尾天皇は学問や和歌などの文芸にご関心が深く,江戸幕府との難しい関係の中,宮廷文化の復興に力を注がれた。
なお,光琳の落款を見ると,法橋(ほつきよう,本来は僧に授与する位だが仏師や絵師にも授けられた)とあり,光琳が法橋に叙せられた元禄14年(1701)以降の作品だとわかる。後水尾天皇は延宝8年(1680)に崩御されているので,制作年代に疑問があるようにみえる。しかし,貴人の肖像画は,原画に拠って描かれることが多く,ここでも公家が描いた下絵をもとに,描かれたものだと思われる。
(図書寮文庫)
「皇女和宮」(かずのみや)として名高い静寛院宮親子内親王(ちかこ,1846-77)の御直筆の日記。画像は,日記冒頭の慶長4年(1868)1月9日,12日条。徳川慶喜やその周辺の様子を時々刻々記されている。親子内親王は孝明天皇の妹,明治天皇の叔母にあたる。夫である江戸幕府第14代将軍徳川家茂を亡くし,皇女であり,かつ将軍家御台所でもあった複雑な立場で,時代が激しく移り変わる明治初期を記されており興味深い。全5冊。
(図書寮文庫)
江戸時代の宮廷行事を記録するために,岩倉具視の命により中山忠能(なかやまただやす)らが編纂した儀式書並びに折帖の附図よりなる。明治20年(1887)完成。恒例・臨時あわせて169の行事を記録し,39の行事を絵画化した。図は北小路随光(きたこうじよりみつ)・樋口守保(ひぐちもりやす)らの手になる。画像は豊明節会(とよのあかりのせちえ,新嘗祭に付随する行事)の五節舞姫(ごせちのまいひめ)の様子。
(図書寮文庫)
天明8年(1789)正月30日,京都で発生した大火の影響で仮住まいを強いられていた後桜町天皇が,2年後に新造された仙洞御所に遷幸された際の行列の様子を描いた彩色の絵図。このときの遷幸に関しては文字資料として,当部所蔵の「院中評定日次案」(いんちゅうひょうじょうひなみあん,函架番号260-58)があって,公家にかかわる行列の詳細が記されているが,本資料には公家たちのほかに,その前後の町人や武家の姿も描かれている。
(図書寮文庫)
寛永5年(1628)正月28日から30日に行われた,任官儀式の作法を伝える資料。古代以来貴族にとってきわめて重要な儀式だったので,当時からこうした資料は文字により多くの資料が編纂された。しかしこの儀式は,戦国時代には事実上中絶してしまい,江戸時代になって復活する。そのため少しでも具体的な様子がわかるように,本資料では豊富な指図によって文書の様子や墨の持ち方などを図示している。
(図書寮文庫)
「蝦夷図」(えぞず)と「唐太島見分麁絵図」(からふととうけんぶんそえず)からなる江戸末期の写本。「蝦夷図」は現在の本州最北部から北海道を彩色画で描き,各地の名称や簡単な地誌等が書き込まれている。本州および北海道南部には,道や航路が示されて交流の様子がうかがえるが,「蝦夷地は広大なため縮めて省略する」との注記があるように,全体の姿は現在の地図によってイメージされる北海道とはまったく異なる姿になっている。
(図書寮文庫)
寛元元年(1243),肥前国松浦(まつら)から宋に渡ろうとした一行が琉球国へ流され,そこから改めて宋へ渡って帰国するまでの見聞記。本史料は僧侶の慶政(けいせい)が,漂流者から直接様子を聞き取ったもので,漂流の様子と琉球国にかかわる記事に特徴がある。絵画の部分は,漂流者を宋へ送り届ける琉球国の人々の様子を描いている。
(図書寮文庫)
清和源氏と徳川氏の系図各1鋪からなる江戸中期の版本。それぞれ,清和天皇と徳川家康の父広忠(ひろただ)を円の中心として,同心円状に徳川将軍家の系譜を中心に記述している。冊子状の系図は,世代が進むに従って頁を繰る必要があるが,この資料は各世代を同心円内に記載することで,一見して世代関係が把握できるようにしようとしたものと思われる。