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(選択を解除)(図書寮文庫)
「日本医学中興の祖」とされる曲直瀬道三(まなせどうさん、1507-94)が編纂した医学入門書。全3巻。『十五指南編』(じゅうごしなんへん)・『医工指南編』(いこうしなんへん)・『医学指南編』とも。医学・用薬・治療など15項目について、様々な医書の説を引用したうえで、道三の主義主張を述べたもの。道三没後、慶長年間(1596-1614)には活字化され、承応2年(1653)に刊行されたものの影印が『近世漢方医学書集成』第6巻(1979年、名著出版)に収録されている。同集成では、本書を道三の甥で、孫娘を妻としたという弟子曲直瀬玄朔(まなせげんさく、1549-1631)の編纂として収録するが、掲示の奥書から道三の編纂とみて間違いない。すなわち、元亀2年(1571)9月9日の奥書によれば、道三が門下生のために編纂した15巻を、高齢となったために玄朔に与えて後代の証本とした、としている。道三は「雖知苦斎」(すいちくさい)など様々な号を持つが、「雖知苦戸」とも号したらしく、道三自筆『切紙』の同年9月13日の奥書にも「雖知苦戸」とある(前掲集成解説写真10)。多紀本。
(図書寮文庫)
本書は,江戸後期の蘭学者杉田玄白(1733-1817)らがオランダ語訳の医学書『ターヘル・アナトミア(解剖図表)』を翻訳し,安永3年(1774)に刊行したものである。玄白らは明和8年(1771)刑死人の解剖に立ち合い,『ターヘル・アナトミア』所載の挿図が正確なことに刺激を受け,同書の翻訳を思い立ったとされる。その苦労の様子は,玄白の著『蘭学事始』に記される。また秋田蘭画の小田野直武(1749-80)の手になる挿図模写は,原書と比較しても精巧であり,本書の価値を一層高めている。本書の出版法は,整版によっている。整版は,再版や訂正がしやすいというメリットがあり,江戸中期以降はほとんど整版法によっている。本書は,江戸幕府の儒官を務めた古賀家の旧蔵書。
(図書寮文庫)
本草学とは,薬用になる動植鉱物について研究する薬物学の一つ。中国では後漢時代より数多くの本草書が編まれ,奈良時代に遣唐使によってもたらされて以来,日本にも広められた。
本書は,北宋時代の医者宼宗奭(こうそうせき)によって著され,南宋~元の時代(13-14世紀頃)に版木で印刷されて出版されたもの。巻末には,「金沢文庫」印が捺され,かつて鎌倉幕府執権北条氏の一族金沢氏が創設した,金沢文庫旧蔵の書物であったことがわかる。
内容は,玉石部・草部・獣部・穀部など10部から成り,1057種におよぶ薬種について,形態や産地,効能などが記される。画像は,虫魚部のうちの一つ「露蜂房」(ろほうぼう)。いわゆるハチの巣で,現在でも漢方薬の一種として珍重される。
(図書寮文庫)
本書は,朝廷に仕えた医師の和気(わけ)・丹波(たんば)・惟宗(これむね)3氏と陰陽師の賀茂(かも)・安倍(あべ)2氏の系図である。江戸時代に書写されたもので,5氏とも古代の始祖から室町時代の人物までの親子兄弟関係と官職等が記されている。朝廷では平安時代後期から江戸時代に至るまで,医道や陰陽道などの専門的技能とそれにかかわる役職を,こうした特定の家が家業・家職として独占的に継承したのであった。
(図書寮文庫)
杉田玄白らが安永3年(1774)に刊行した,日本最初の西洋医学の翻訳書。序文と図からなる1冊と,本文4冊によって構成されている。図と本文は各篇毎に対応していて,各篇内の図には,本文に付された数字などが割り振られ,本文の記述が人体のどの部位を指しているかがわかるように工夫されている。