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『白氏文集』(はくしぶんしゅう)は,中国唐代中期の詩人・白居易(はく・きょい,772-846,字は楽天)の詩文集。はじめ親友の元稹(げん・じん,779-831)により編まれ,その後居易自身が生涯にわたって加筆したもの。『文集』は早くも居易の生前よりもてはやされ,日本にも存命中に渡来した。日本の漢文学はもちろん,『源氏物語』など国文学へも強く影響したことが知られる。
さて,本資料は,九条家旧蔵の残巻類の包みより出現した,鎌倉初期の書写と思われる『文集』巻16の残簡1葉。大ぶりの料紙に墨で界線(枠)を引き,毎行15字で書かれ,欠損はあるが24行残存している。内容は巻頭の「東南行(東南のうた)」という詩の一部である。居易が左遷された都・長安より東南の江州の景や,長安での思い出を詠んだ作品。文中の小字は居易自身による注釈(自注)を写したもの。本資料はたった1枚にすぎないが,唐代に写本で流布した『文集』の本文が我が国において保存された,いわゆる「旧鈔本」(ふるい手書き本)のひとつの姿を伝える点に意義がある。
なお,『管見記』(F11・1)巻102の紙背にも,鎌倉時代の書写で,同じく『文集』巻16の別の部分(巻末)が遺る。
(図書寮文庫)
『帝鑑図説』は,中国明代の宰相張居正(ちょうきょせい,1525-82)が,幼くして皇帝に即位した万暦帝(ばんれきてい,在位1572-1620)の帝王学の教科書として,古代から宋代までの君主の事蹟を絵入りでまとめた本。前半で名君の善政,後半で暴君の悪政を扱う。掲出部分は漢の高祖が3人の名臣,張良・蕭何・韓信を上手に用いたことで天下を統一できたことを記している。
皇帝の教育係でもあった張居正は,万暦帝を理想の帝王にすべく厳しく育てたが,かえって堕落し,奢侈と政治への無関心から,明を滅ぼす端緒を開いたことは皮肉である。
さて本書は,特大(50.2cm×41.3cm)の折帖で,図などの特徴から,万暦帝への奉呈本に非常に近く,張居正周辺で作られた模本をもとに万暦年間(1573-1620)刊行された可能性が指摘されている。
明治時代に旧幕府から宮内省が引き継いだもので,寛文11年(1671)紅葉山文庫に収められた『御覧帝鑑図(ぎょらんていかんず)』が本書に相当する。本書よりひと回り大きい,今は失われた徳川家康旧蔵の『帝鑑図説』の箱に収められている。
(図書寮文庫)
本草学とは,薬用になる動植鉱物について研究する薬物学の一つ。中国では後漢時代より数多くの本草書が編まれ,奈良時代に遣唐使によってもたらされて以来,日本にも広められた。
本書は,北宋時代の医者宼宗奭(こうそうせき)によって著され,南宋~元の時代(13-14世紀頃)に版木で印刷されて出版されたもの。巻末には,「金沢文庫」印が捺され,かつて鎌倉幕府執権北条氏の一族金沢氏が創設した,金沢文庫旧蔵の書物であったことがわかる。
内容は,玉石部・草部・獣部・穀部など10部から成り,1057種におよぶ薬種について,形態や産地,効能などが記される。画像は,虫魚部のうちの一つ「露蜂房」(ろほうぼう)。いわゆるハチの巣で,現在でも漢方薬の一種として珍重される。
(図書寮文庫)
本書は,中国南宋の陳実(ちんじつ,12世紀頃の人)が,仏教経典の集大成である大蔵経から,事項を抜粋・分類した索引・内容一覧的な仏教書である。
徳川家康が慶長20年(1615)に隠居所駿府(静岡)で出版を命じた「駿河版」(するがばん)と呼ばれる金属活字で印刷した図書のひとつ。家康を深く尊崇する徳川吉宗は,幕府の図書館である紅葉山文庫に,家康の出版物が欠けていたため,元文5年(1740),当時和歌山藩に伝来していたこの大蔵一覧集を取り寄せ紅葉山文庫に収蔵したのである。
(図書寮文庫)
本書は,中国唐の時代の律(刑法)の注釈書である故唐律義疏の序文。徳川吉宗は,中国の律令を知るために学者荻生観(おぎゅうかん,荻生徂徠の弟)に故唐律疏義の本文を校訂させ,さらに当時長崎に来ていた中国人沈炳(しんへい)も校訂を依頼した。沈は校訂した本文に刑部尚書(けいぶしょうしょ,清の法務大臣)励廷義自筆の序文を副えて献上したのである。本書はその自筆本。
(図書寮文庫)
本書は,中国唐の時代に太宗(598-649)の命により魏徴(ぎちょう,580-643)が編纂した政治の要諦の書。唐・貞観6年(631)に成立し,全50巻。当時存在していた様々な図書より政治の参考とすべき事項を抜粋して編纂された。しかし本書は中国では既に宋の時代(日本の平安時代頃)には失われてしまっていたという。この本は,鎌倉幕府の執権であった北条氏一族金沢(かねさわ)氏の図書館であった金沢文庫に所蔵されていた鎌倉時代(13世紀)の写本。全50巻のうち3巻が欠けてはいるが,この本によって中国本土にも伝わらなかった『群書治要』の内容を知ることができる貴重なもの。
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本書は,西晋の杜預(とよ,222-84)が孔子(BC552-479)の編纂と伝えられる歴史書『春秋』とその注釈書である『左氏伝』とをあわせ,更に注釈を加えて編纂したもの。全30巻。角書(つのがき,書名の上の小書の部分)の「杜氏」は杜預のことを指す。『左氏伝』は,様々な故事成語にちなんだ話を掲載している。この本は,鎌倉時代(13世紀)に幕府の執権であった北条氏が書写させたもので,もと金沢文庫に伝えられた。
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本書は,中国南北朝時代の南朝の宋(5世紀)の時代の皇族であった劉義慶(りゅうぎけい,403-44)が,後漢末から東晋(3-5世紀)の著名人の逸話を集め編纂した小説集である。第一徳行篇,第二言語篇,第三政事篇のように内容によって36の章に分類されている。とりあげられている人物も曹操(そうそう,政治家)や王羲之(おうぎし,書家)など多岐にわたる。本書は,古代中国の著名人の言説や思想などを知ることのできるもので,我が国でも盛んに読まれた。この本は,中国南宋時代(12-13世紀)に刊行された版本(版木で印刷されたもの)で,全3冊。もと金沢文庫に伝えられた。
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本書は,中国・宋の太宗(939-97)の命により李昉(りぼう,925-96)が編纂した類書(百科全書)で,宋・太平興国8年(983)に完成した。天・地・皇王など55部門に分かたれて編纂されている。この本は,南宋時代の慶元5年(1199)前後に刊行された版本で,もと金沢文庫に伝来。のち京都の相国寺に伝わり,同寺の西笑承兌(さいしょうじょうたい,1548-1608)が徳川家康に献上したものである。この本の前半の数十冊は欠けている箇所があり日本で手書きで書写されている。今回は,南宋時代に印刷された冊を掲げた。『太平御覧』は,平安時代末期には平清盛らによって輸入されていたことが知られ,いく組かが日本にわたってきている。
(図書寮文庫)
本書は,孔子の『論語』を魏の何晏(かあん,?-249)が注釈し,宋の邢昺(けいへい,932-1010)が疏(そ,詳細な注釈)を加えて成ったものである。この本は,南宋の寧宗時代(12世紀末-13世紀)に刊行された版本で,もと金沢文庫に伝えられた。宋版の同書は,中国に遺っていなかったため,昭和4年(1929)にはこの本をもとにしたコロタイプ印刷(写真を使った特殊印刷)による複製が中国で出版されている。『論語』理解に資する注釈書として尊重されたものといえる。
(図書寮文庫)
本書は,中国漢の時代に司馬遷(しばせん,BC140-?)によって編纂された『史記』を南朝の宋(5世紀)の時代に裴駰(はいいん,生没年未詳)が,のち唐の時代にも司馬貞(しばてい,生没年未詳)らが注釈したもの。内容は130巻で目録1巻を付す。『史記正義』ともよばれる。この本は,室町時代後期の公卿にして学者であった三条西実隆(さんじょうにしさねたか,1455-1537)によって書写された写本43冊である。奥書(書写の経緯を記した文章)によれば永正7年(1510)から同15年にかけて書写し,子息公条(きんえだ,1487-1563)が訓点(漢文の読み方を示した符号)を写したことがわかる。