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(選択を解除)(宮内公文書館)
新冠(にいかっぷ)御料牧場の広大な土地に洋種牝馬(ひんば)を放牧している様子がうかがえる写真。明治期に撮影されたものと思われる。本写真は明治天皇御手許書類のなかに収められた,新冠御料牧場写真4枚の内の1枚である。
新冠御料牧場は,明治5年(1872)に開拓使が北海道日高国に設置した牧場をはじまりとする。明治5年に開拓使が設置した牧場は,北海道日高国静内(しずない)・新冠・沙流(さる)の3郡にまたがる約7万ヘクタールの土地に設けられた。明治16年12月,農商務省所管の新冠牧馬場が宮内省へ移管され,明治21年には主馬寮の所管となり,同場の名称も新冠御料牧場に改められた。牧場開設以来,日本在来馬の改良・繁殖に力を注いだ。大正11年(1922)には,宮内省下総牧場での馬の繁殖が中止となり,それに伴って同場から優秀な洋種の種馬と繁殖牝馬が移され,馬の生産は新冠で行われることとなった。新冠では,外国から各品種の種牡馬と種牝馬を輸入して,馬の飼養に力を入れた結果,優良な洋種が多数生産された。
(図書寮文庫)
フランスのオルトラン(Théodore Ortolan,1808-74)が著した"Règles internationales et diplomatie de la mer"(海の国際法と外交)のオランダ語訳。榎本武揚(えのもとたけあき,1836-1908)旧蔵本。
榎本武揚(通称釜次郎)は文久2年(1862)オランダに留学し慶応2年(1866)に帰国,幕府海軍副総裁となる。大政奉還後,新政府への軍艦引渡を拒み五稜郭(現在の北海道函館市)に籠もって抵抗したが(箱館戦争),明治2年(1869)5月降伏。入獄,特赦の後,明治政府に仕え,海軍卿・文部大臣・外務大臣などを歴任した。
本書は,冒頭に師フレデリックスから榎本に宛てた序文(印刷)があり,以降の本文はペンで浄書されている。欄外に榎本のオランダ語・日本語の注記がある。
榎本は降伏の際,本書が混乱で失われるのを惜しみ,官軍参謀の黒田清隆(1840-1900)に託した。掲出した"Geschenk aan de Admiraal van de Keizerlijk Japansche marine van Enomotto Kamadiro"「提督への贈り物」と筆で書かれた一文はこの時のものとされる。
明治13年海軍卿となった榎本は海軍省図書のうちに本書を見出し,許可を得て手元に戻した。その後,武揚の孫である榎本武英から大正15年(1926)に宮内省へ献納された。武英は,本文は「ふれでりつくす氏ノ手筆ニ係ル」とし,祖父の書き込みを「蝿頭ノ細字」(ようとうのさいじ)と評している(宮内公文書館蔵『図書録』大正15年第62号〈識別番号990292〉)。
(図書寮文庫)
「蝦夷図」(えぞず)と「唐太島見分麁絵図」(からふととうけんぶんそえず)からなる江戸末期の写本。「蝦夷図」は現在の本州最北部から北海道を彩色画で描き,各地の名称や簡単な地誌等が書き込まれている。本州および北海道南部には,道や航路が示されて交流の様子がうかがえるが,「蝦夷地は広大なため縮めて省略する」との注記があるように,全体の姿は現在の地図によってイメージされる北海道とはまったく異なる姿になっている。