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本資料は、朝廷の政治事務を司る官職である「外記・史」(げき・し)の「分配」(ぶんぱい)に関する記録である。「分配」とは、朝廷の儀式や行事の役割分担、配置をあらかじめ定めておくことをいう。史を統括する壬生家に伝わったもので、天文4年(1535)~寛永8年(1631)の分について、儀式・行事ごとに開催年月日、分配の対象者、下行(げぎょう、経費・給与の支給)等が記されている。これらから、戦国~江戸時代の朝廷儀礼、外記・史の人々の様相をうかがい知ることができる。
画像中央に「天正十四年 関白秀吉様/太政大臣 宣下」と見えるのは、天正14年(1586)、羽柴(豊臣)秀吉が太政大臣に任じられた際のもので、この時は外記・史を兼任する中原「康政」が宣下の儀式に参仕したことがわかる。また、「三貫」(約30~60万円)の下行のあったことが注記されている。
また、その右側にある「着陣」とは、廷臣が叙位・任官した後、初執務を行う儀礼で、名前の見える羽柴「美濃守」秀長、羽柴「孫七郎」秀次、徳川「家康」、「伊勢御本所」こと織田信雄は、この天正14年に官位が昇進している。
(図書寮文庫)
八条宮智仁親王(としひとしんのう,1579-1629)が長岡藤孝(細川幽斎,1534-1610)から相伝された『古今伝受資料』のうちの1点。包紙に智仁親王御筆で「幽斎より相伝之墨」とある。
墨には「〈祁邑葉璲精造〉金壺清」「〈東岩主人督製〉金壺清」との銘があるが,「祁邑(きゆう)」は中国山西省の祁県(きけん)の古称で,「葉璲(しょう・すい)」「東岩主人(とうがんしゅじん)」は職人の名・号と考えられる。
附属の幽斎自筆の書付によれば,九州平定のため羽柴秀吉に従って長門国(山口県)まで下向した幽斎が,宿泊した同地の妙栄寺の住職から,大内義隆の旧蔵品の「からすミ(唐墨)」として贈られたものという。幽斎の『九州道の記』には,天正15年(1587)5月11日,妙栄寺に到る前に義隆終焉の地である大寧寺に立ち寄ったことが記されており,贈られたことはそれと関係があるかもしれない。
大内義隆は日明貿易に積極的に関与し,天文年間に2度貿易船を明に派遣している。当時遣明使節の幹部だった禅僧策彦周良(さくげん・しゅうりょう)の記録『初渡集』『再渡集』に,中国で墨を購入したり,中国人から贈られたりしたことが確認されるので,そのようにして入手したうちの1点である可能性はあろう。いずれにせよ,明代に我が国へもたらされた墨は残存例が少ないので,極めて貴重である。
(図書寮文庫)
本書は,奈良期に舎人親王等によって編纂された『日本書紀』神代巻を,慶長4年(1599),第107代後陽成天皇(1571-1617,御在位1586-1611)の命によって木製の活字によって印刷したものである。印刷された時期や天皇の命によるものであるところから,慶長勅版と称される。天皇は,朝鮮半島よりもたらされた銅活字の印刷技術を参考とし,木製活字を作らせこの事業を行ったという。『日本書紀』のほかにも『大学』『職原抄』など15種類の図書を刊行した。それらは100部程度印刷され廷臣に下賜された。本書は蔵書印から,公家の野宮家に伝来したものであったことがわかる。以降,江戸初期には,活字による印刷が盛んに行われるが,その端緒がこの勅版の刊行によるものとされる。江戸初期に活字で印刷された図書を,特に古活字版と称す。
(図書寮文庫)
明の皇帝神宗(万暦帝)が李宗城(りそうじょう)を正使として豊臣秀吉に宛てた明・万暦23年(文禄4年〈1595〉)1月21日付の勅諭(皇帝からの訓告)の原本。秀吉の出兵に対する具体的な講和条件などを述べた後,皇帝からの贈呈品リストを付す。なお,正使が逃亡したため,この勅諭がそのまま使われることはなかった。本紙は縦53.2cm,横172.8cm。掛幅全体の大きさは縦横ともに190cm程度で,畳2畳分を超える大きさである。本紙末尾の蔵書印により幕末の儒学者佐藤一斎(1772-1859)が所蔵していたことがわかる。
(図書寮文庫)
天正5年(1577),織田信長が「やうしゆん院」に銭や米の得分を与えたもので,著名な「天下布武」の朱印が押されている。かな書きであることや日野家に伝えられたものであることから,「やうしゆん院」は日野家ゆかりの尼僧と推測される。信長の自筆ではなく右筆(書記)が書いたものと考えられる。
(図書寮文庫)
天正10年(1582),豊臣(羽柴)秀吉が織田信長の三男信孝(のぶたか)に,本能寺の変後の動向を伝え,自身の活躍を訴えたもの。27ヶ条におよび,信長死後の織田家の相続を定めた清洲会議や,秀吉が明智光秀を破った山崎の戦いの顛末が記されている。秀吉の自筆ではなく,控えとして写したものか,後世に写し取られたものと考えられる。幕末・明治期の国学者谷森善臣の旧蔵。