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(選択を解除)(図書寮文庫)
本書中,藍色の雲紙に書かれているのは,琵琶の撥合という奏法の譜面である。下無(しもむ)は洋楽の音名の「嬰ヘ」に相当する。譜のあとに後伏見天皇(第93代,1288-1336)の宸筆の奥書と花押があり,それによれば,入道相国(西園寺実兼)が書いて進上してきた撥合(かきあわせ)の譜を,天皇御自身が練習のため宸筆で書写したことがわかる。伏見宮旧蔵。
(図書寮文庫)
琵琶の3つの秘曲の譜面で,文永4年(1267)と5年に,刑部卿局から後深草上皇(1243-1304)へ3秘曲伝授が行われた際に作成されたもの。譜のあとに「さつけまいらせさふらひぬ」(お授け申し上げました)とみえることから,伝授状と分かる。刑部卿局は本名を藤原博子といい,下級貴族の出身ながら琵琶の名手として宮中に仕えた女性であった。上皇にたてまつる伝授状にふさわしく,上下藍色の雲紙が用いられ,3曲の中でも最秘曲にあたる啄木調(たくぼくちょう)には,金泥の界線が施されている。
(図書寮文庫)
我が国の琵琶のおこりは,遣唐使藤原貞敏(さだとし,807-67)が唐の廉承武(れんしょうぶ)より奏法を学び,その技術を持ち帰ったことに始まるとされる。本系図は,それから鎌倉時代に至るまでの相伝の系譜で,50余名におよぶ人名が記されている。中には「従三位源博雅」「太政大臣藤原師長」など朝廷に重きをなした公卿のほか,「賢円」「院禅」など僧侶や「尾張尼」「息女」などの女性もみえる。のちに琵琶の相伝には西流(にしりゅう)・桂流(かつらりゅう)の二つの流派が発生し,西流は鎌倉時代の公卿西園寺公経(さいおんじきんつね,1171-1244)までが本系図に記載される。公経は,朝廷の要職にあって鎌倉幕府とも緊密な関係を築いた公卿で,琵琶や和歌にも優れた功績をのこした。一方の桂流は僧春円まで記載され,その箇所に「系図に入れおわんぬ。正応四年(1291)十月五日清空(花押)」と書き込みがあり,本系図のおおよその成立年代が判明する。
(図書寮文庫)
寛喜元年(1229),楽人の多久行(おおのひさゆき,1179-1261)が著した番舞(つがいまい)の目録,すなわちプログラムの例である。番舞(舞番とも)とは,唐楽の舞(左方舞)と高麗楽の舞(右方舞)とを一曲ずつ組み合わせたもので,本文の上段が左方舞・下段が右方舞にあたる。その組み合わせはほぼ決まっていて,舞楽においてはこの内の数番が奏される。各曲にまつわる多氏所伝の秘説なども併記されており,跋文によれば,後堀河天皇(1212-34)の「勅問」により注進したという。久行が天皇に奉呈した原本そのものである可能性が高い。宮廷儀礼において実質的に奏楽を務めたのは多氏や狛氏のような楽人で,時に彼らは皇族や貴族の師範ともなった。
(図書寮文庫)
唐楽を相伝した南都興福寺の楽人狛氏の当主狛近真(こまのちかざね,1177-1242)が後代のために著した10巻から成る楽書。舞楽曲に関する故実口伝,器楽の奏法心得など,歌舞奏楽にかかわる一切を総合的にまとめたもの。狛氏相伝の教えにとどまらず他家に伝わる楽曲等についての言及も多い。天福元年(1233)の成立で,本書はその室町時代はじめ頃の写本である。近真は当代きっての名人とされたが,子息が跡を継がず,技術の途絶を憂いて本書が著されるに至った。本文中にも「(息子たちが)道を継承しないのは宝の山に入って手ぶらで出てくるようなものだ」とみえ,近真の口惜しさが伝わってくる。
(図書寮文庫)
催馬楽(さいばら)とは歌謡の一種。建治2年(1276)8月1日,当時12歳の熙仁親王(1265-1317,後の伏見天皇)が催馬楽の秘曲「安名尊」(あなとう)を権大納言四条隆顕から伝授された時の様子を,親王の御父後深草上皇がみずから記録されたものとみられる。いわば俗曲である催馬楽を皇族が習うことは稀であるとしながらも,かつて延喜の聖代に醍醐天皇(885-930)が歌謡を学ばれた例や,院政時代,鳥羽(1103-56)・後白河(1127-92)両院も好まれたことなどを挙げ,その佳例に連なるものとする。
(図書寮文庫)
文永末年(1274)頃に成立した音楽説話集。文机房隆円(ぶんきぼうりゅうえん)という僧侶が,名手の活躍を中心に我が国の琵琶の歴史を物語るという構成。諸国修行の末,当時名人として世に知られた藤原孝時(たかとき)のもとに寄寓した隆円は,自身も堪能な琵琶奏者であった。伏見宮旧蔵の本書は巻二しか伝わらないものの,伝存する他の諸本にはみられない部分が多く含まれる貴重な一書。紙背に観応2年(1351)・文和4年(1355)の仮名暦がみえることから,南北朝期の写本と考えられる。図版にみえる「文和三年十一月一日」の日付は,古来,暦の頒布が前年の11月に行われていたことによる。
(図書寮文庫)
本書は,嵯峨天皇(786-842,52代)から後村上天皇(1328-68,97代)までの箏(琴の一種)の師承関係を,南北朝時代に書写された系図である。箏は笙や篳篥などと異なり,女性もしばしば演奏した楽器であり,本書にも天皇や摂関,大臣などの貴族のほか,皇女や女房など女性の名も多く見える。末尾は後醍醐天皇皇女,後村上天皇,長慶天皇(1343-94,98代)と南朝方における相伝関係を示している。
(図書寮文庫)
本書は,後小松天皇(第100代,御在位1382-1412)宸筆による,応永17年(1410)8月29日に,山科教豊(やましなのりとよ,のちに家豊と改名)へ箏の秘曲「蘇合香」(そこう)を伝授されたことを証明する御伝授状で,天皇34歳の時の書。「蘇合香」は雅楽の曲の一つであり,インドのアショカ王(阿育王)が病に倒れた時,蘇合香という薬草を服用し,全快したことを喜んで曲を作ったことが由来である。序・三帖・四帖・五帖・破・急の六章からなっており,この時はそのうち四帖の拍子の取り方を伝授されたと考えられている。日付の下の書き付けは後小松天皇の御花押(署名を文様化したもの)。
(図書寮文庫)
本書の内容は,平安時代後期の公卿で,管絃の名手であった藤原師長(もろなが,1138-92)が編んだ琵琶の譜面集成。本書は正平10年(1355),後村上天皇(第97代,南朝,御在位1339-68)に授けられた際のもので,裏には伝受された後村上天皇御自身による書き付けが見られる。黄蘗(きはだ)で染められた和紙に書かれており,南朝に関する史料が少ない中,貴重な史料の一つである。なお,「三五」とは琵琶の異称で,長さが三尺五寸であったことに由来する。
(図書寮文庫)
本書は,崇光天皇(北朝第3代,御在位1348-51)によって書写された,琵琶の最秘曲とされた啄木(たくぼく)の秘事口伝に関するもの。譜面の他,撥(ばち)の持ち方や弾き方などの秘伝も図示されているが,描き直しをされている箇所も見られる。朱線が引かれた後の部分は,崇光天皇の第1皇子の栄仁親王(よしひと,1351-1416)が書き継いでいる。