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(選択を解除)(図書寮文庫)
鎌倉時代の摂関家の当主藤原(九条)忠家(1229-75)による手習いの跡である。摂関家の一つ九条家に生まれた忠家は,嘉禎元年(1235)に父教実の急逝に遭うも,摂政関白や関東申次などの要職を歴任して権勢をふるった九条道家(1193-1252)の孫として貴族社会に認められ,仁治2年(1241)13歳で正二位に昇る。さらに寛元2年(1244)内大臣を経て,同4年18歳で右大臣と,早いスピードで昇進した。手習いは,『白氏文集』巻2・巻16の一部や和歌題,書状の定型句などを書き散らす中に,「右大臣(花押)」を繰り返し記しているのが目立つことから,その頃のものである可能性がある。料紙は,主要な政務や儀式の次第を書いた巻子の紙背(裏面)を用いている。歴史上の人物による,こうした手習いの痕跡が残ることは非常に稀である。複雑な花押の書き様には,練習を要したことが判明する。若年ながらも摂関家の子弟に相応しくふるまい,朝政を担うべく努める忠家の気負いが感じられる,貴重な資料である。
(図書寮文庫)
『帝鑑図説』は,中国明代の宰相張居正(ちょうきょせい,1525-82)が,幼くして皇帝に即位した万暦帝(ばんれきてい,在位1572-1620)の帝王学の教科書として,古代から宋代までの君主の事蹟を絵入りでまとめた本。前半で名君の善政,後半で暴君の悪政を扱う。掲出部分は漢の高祖が3人の名臣,張良・蕭何・韓信を上手に用いたことで天下を統一できたことを記している。
皇帝の教育係でもあった張居正は,万暦帝を理想の帝王にすべく厳しく育てたが,かえって堕落し,奢侈と政治への無関心から,明を滅ぼす端緒を開いたことは皮肉である。
さて本書は,特大(50.2cm×41.3cm)の折帖で,図などの特徴から,万暦帝への奉呈本に非常に近く,張居正周辺で作られた模本をもとに万暦年間(1573-1620)刊行された可能性が指摘されている。
明治時代に旧幕府から宮内省が引き継いだもので,寛文11年(1671)紅葉山文庫に収められた『御覧帝鑑図(ぎょらんていかんず)』が本書に相当する。本書よりひと回り大きい,今は失われた徳川家康旧蔵の『帝鑑図説』の箱に収められている。
(宮内公文書館)
昭憲皇太后は,早くから女子教育の大切さを説かれ,明治18年(1885)に華族女学校が開校するとたびたび行啓された。明治20年には「金剛石」と「水は器」の御歌(みうた)二首を同校へ下賜し,唱歌として広く歌われた。史料は明治天皇御紀附図稿本に収められている一枚で,昭憲皇太后が明治18年11月13日の華族女学校開校式に臨まれる場面。華族女学校長であった谷干城(たてき)の答辞をお受けになっている。明治天皇御紀附図稿本は,宮内省に大正3年(1914)に置かれた臨時編修局(のちに臨時帝室編修局)が作成した「明治天皇紀」附図の稿本。「明治天皇紀」に所載される主だった場面が描かれている。完成した附図は「明治天皇紀」260巻と共に昭和8年(1933)に昭和天皇へ奉呈された。
(図書寮文庫)
室町時代の文安元年(1444)に成立した古辞書。下学とは,手近で初歩的な学問という意味であり,その内容はとくに初学者・幼年者を対象としている。作者は不明だが,禅宗の僧侶と推定される。
3110語に及ぶ鎌倉・室町時代の言葉が,天地門・神祇門・時節門・飲食門・数量門などの18門に意義分類される。その一つに気形門(気形とは生き物のこと)があり,虫に関する言葉が掲載されている。それぞれの言葉の右側と左側には読み方がカタカナで配され,また半数以上の語に,詳細な注釈が漢文で添えられており,初心者の学習に適した,百科事典的な内容となっている。
本書は,室町時代の写本で,その後,塙保己一(1746-1821)が設立した和学講談所に所蔵されていた。
(図書寮文庫)
本書は,明治天皇(第122代,1852-1912)宸筆の御手習い並びに御清書である。清書の文字は「梅花」と書かれ,書道師範であった有栖川宮幟仁親王(たかひと)朱筆による加点並びに添削のあとがみられる。また「いろは」は,基礎的な仮名文字習得を目指した手習いであったと思われる。付属の書付けによれば,文久元年(1861)に幟仁親王に下賜されたもので,天皇10歳の宸筆である。有栖川宮旧蔵。