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(選択を解除)(図書寮文庫)
天正5年(1577),織田信長が「やうしゆん院」に銭や米の得分を与えたもので,著名な「天下布武」の朱印が押されている。かな書きであることや日野家に伝えられたものであることから,「やうしゆん院」は日野家ゆかりの尼僧と推測される。信長の自筆ではなく右筆(書記)が書いたものと考えられる。
(図書寮文庫)
天正10年(1582),豊臣(羽柴)秀吉が織田信長の三男信孝(のぶたか)に,本能寺の変後の動向を伝え,自身の活躍を訴えたもの。27ヶ条におよび,信長死後の織田家の相続を定めた清洲会議や,秀吉が明智光秀を破った山崎の戦いの顛末が記されている。秀吉の自筆ではなく,控えとして写したものか,後世に写し取られたものと考えられる。幕末・明治期の国学者谷森善臣の旧蔵。
(図書寮文庫)
桂宮家旧蔵の伊達政宗書状。すべて八条宮家の家司生島宮内少輔秀盛に宛てた書状。年次を欠いているが,内容や自署・花押の形から,元和から寛永年間の頃に書かれたとされている。この時期は八条宮家初代当主智仁親王(としひと),2代智忠親王(としただ)の代にあたる。伊達政宗と八条宮家の交流が伺える史料。全9通の内1通は,寛永11年(1634)のものと推測される政宗自筆の書状。