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(図書寮文庫)
平安時代後期の関白藤原忠通(ただみち,1097-1164)の自筆日記。父忠実(ただざね,1078-1162)や弟頼長(よりなが,1120-56)との対立は,保元の乱(1156)の原因となった。晩年出家し法性寺に住んだことから,法性寺殿とも称される。文芸に優れたほか能書家としても知られ,その書風は法性寺流として鎌倉時代を通じて重んじられた。端正な書風は当日記からも窺える。画像は天治2年(1125)9月14日条で,斎王守子内親王(1111頃-56)の伊勢群行当日の記事である。
(図書寮文庫)
鎌倉時代の第92代伏見天皇(1265-1317)宸筆の御日記。天皇は後深草天皇(1243-1304)の第2皇子。政務や儀式を記す他,学問・文芸に優れたため,教養・趣味に関する記述も多い。屈指の能書家で,平安時代の優麗な書風に学ぶ伏見院流を開かれた。画像は永仁元年(1293)8月27日条で,伏見天皇が勅撰集『玉葉和歌集』の編纂を二条為世(ためよ)らにお命じになった際の記事である。
(図書寮文庫)
室町時代の公卿,万里小路時房(までのこうじときふさ,1394-1457)の自筆日記。内容は朝廷の儀式や所領経営の他,時房は室町幕府との連絡役であったことから,室町幕府の動向も詳しく記されている。画像は嘉吉元年(1441)6月24日条で,赤松満祐(あかまつみつすけ,1381-1441)が室町幕府第6代将軍足利義教(あしかがよしのり,1394-1441)に対して反乱を起こした嘉吉の乱(1441)に関わる伝聞記事。
(図書寮文庫)
室町時代,公卿山科家に仕えた大沢久守(おおさわひさもり,1429-98),重胤(しげたね)等の自筆の業務日記。特に久守は立花の名手としても知られる。主家山科家に関する記述を主としながらも,応仁の乱(1467-77)や土一揆の様子も記している。画像は延徳元年(1489)3月30日条で,近江国へ出陣中病没した室町幕府9代将軍足利義尚(よしひさ,1465-89)の遺骸を京に送る行列の中で,義尚の母日野富子(1440-96)が人目を憚らず号泣していた様子を記している。
(図書寮文庫)
戦国時代の前関白九条政基(くじょうまさもと,1445-1516)の自筆日記。所領であった和泉国日根荘(ひねのしょう,現・大阪府泉佐野市)に下り,自ら支配を行なった際(1501-04)に記したとされる。旅引付とは旅行中の記録のことで,公家の日記には珍しく,村落生活や周辺勢力の動向を記すなど,戦国時代の村の様相を知ることができる。画像は文亀元年(1501)年7月20日条で,日根荘内の瀧宮(火走神社)の社頭で行なわれた雨乞いの様子を記した記事である。
(図書寮文庫)
本書は,鎌倉時代に官人小槻(おづき)氏が皇統やそれに関する先例等を度々勘進(調査・報告)した文書群で,10数点が一巻にまとめられているもの。画像は,弘安4年(1281)に勘進された神武天皇以来の天皇の系図(末尾)。後宇多天皇(1267-1324,91代)から花園天皇(1297-1348,95代)までの5代が「当今」(=今上)と記されており,両統迭立(持明院統・大覚寺統両皇統の交互の即位)期に書き継がれていたことがわかる。また,現代の代数の数え方(明治期に確定)とは異なる点も見られる。
(図書寮文庫)
本書は,和銅元年(708)に但馬国朝来郡(現在の兵庫県朝来市)の粟鹿(あわが)神社の祭主神部直(かんべのあたい)氏が朝廷に上申したとされる祭神粟鹿大明神の系図である。素戔嗚尊に始まり,大国主命を経て上申者の神部直根〓《門+牛》まで,29代の系譜が記されている。鎌倉時代の写しだが,紙を縦にし,特殊な記号や表現を用いて書き連ねる竪系図(たてけいず)と呼ばれる原初的な形態を伝える貴重なものである。
(図書寮文庫)
本書は,鎌倉末~南北朝時代に起きた美濃国船木荘只越郷(ただこしごう,現在の岐阜県瑞穂市)をめぐる争いにおいて,当事者の一方の法眼盛祐が暦応2年(1339)に朝廷(北朝)に提出した訴状である。本文のあとに,参考資料として由緒を示す関係文書を書写したものとともに当事者双方の系図が付されており,盛祐が自らの相伝の正当性を示す論拠のひとつとしている。紙継目の裏には,訴訟の担当者である北朝の廷臣柳原宗光(1322-47)の花押が書かれている。
(図書寮文庫)
本書は,『源氏物語』の登場人物を整理した系図である。奥書によれば,本書は室町時代前期の駿河国の守護で歌人としても知られた今川範政(のりまさ,1364-1433)の著作で,江戸時代中期の河内狭山藩主で文武に秀でた北条氏朝(うじとも,1669-1735)が写したものとされている。『源氏物語』には数多くの人物が登場することから,その理解を助けるために早くから系図が作られ,講読に利用された。
(図書寮文庫)
本書は,嵯峨天皇(786-842,52代)から後村上天皇(1328-68,97代)までの箏(琴の一種)の師承関係を,南北朝時代に書写された系図である。箏は笙や篳篥などと異なり,女性もしばしば演奏した楽器であり,本書にも天皇や摂関,大臣などの貴族のほか,皇女や女房など女性の名も多く見える。末尾は後醍醐天皇皇女,後村上天皇,長慶天皇(1343-94,98代)と南朝方における相伝関係を示している。
(図書寮文庫)
本書は,朝廷に仕えた医師の和気(わけ)・丹波(たんば)・惟宗(これむね)3氏と陰陽師の賀茂(かも)・安倍(あべ)2氏の系図である。江戸時代に書写されたもので,5氏とも古代の始祖から室町時代の人物までの親子兄弟関係と官職等が記されている。朝廷では平安時代後期から江戸時代に至るまで,医道や陰陽道などの専門的技能とそれにかかわる役職を,こうした特定の家が家業・家職として独占的に継承したのであった。
(宮内公文書館)
明治4年(1871)の大嘗祭(だいじょうさい)に際して安房国は主基(すき)地方とされた。悠紀国・主基国の風俗を描いた2隻1双の屏風がそれぞれ作成されたが,本資料は主基国の左隻の写し。屏風絵の作者は樋口守保,狩野芳信。
(宮内公文書館)
明治6年(1873)の大和田原(現船橋・習志野・八千代市域)行幸の様子を描いたもの。この行幸の際に,同地は「習志野原」と命名された。本資料は,「明治天皇紀」とともに昭和天皇に奉呈された附図の稿本。作者は,二世五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)。
(宮内公文書館)
習志野原御猟場の全域図。大正9年(1920)写。四つの管轄区域を色分けして描いている。習志野原御猟場は明治14年(1881)に設置された後,区域を増縮しながら大正11年に廃止された。
(宮内公文書館)
大正期の宮内省下総牧場(現成田・富里市域)の写真。明治天皇行幸を記念して敷地内に植えられた御幸桜。三里塚は桜の名所として知られていた。御料牧場は,明治8年(1875)に開設した内務省の下総牧羊場・取香種畜場(とっこうしゅちくじょう)に淵源を持つ。明治18年に下総種畜場が宮内省の所管となって以降,名称を下総牧場,下総御料牧場等と変遷しながら,昭和44年(1969)に閉場した。
(宮内公文書館)
大正6年(1917)に大正天皇が習志野原の陸軍騎兵学校に行幸した際に玉座が設けられた御馬見所(ごばけんしょ)の図面。御馬見所は東京・目黒の陸軍騎兵実施学校の習志野への移転に伴い移されたもので,明治天皇の行幸のあったゆかりの建造物。現在では陸上自衛隊習志野駐屯地内(船橋市)に「空挺館」と名を改め,隊員の教育,伝統の継承などのため,空挺(落下傘部隊)に関わる貴重な資料などを展示している資料館となっている。
(図書寮文庫)
本書は,中国唐の時代に太宗(598-649)の命により魏徴(ぎちょう,580-643)が編纂した政治の要諦の書。唐・貞観6年(631)に成立し,全50巻。当時存在していた様々な図書より政治の参考とすべき事項を抜粋して編纂された。しかし本書は中国では既に宋の時代(日本の平安時代頃)には失われてしまっていたという。この本は,鎌倉幕府の執権であった北条氏一族金沢(かねさわ)氏の図書館であった金沢文庫に所蔵されていた鎌倉時代(13世紀)の写本。全50巻のうち3巻が欠けてはいるが,この本によって中国本土にも伝わらなかった『群書治要』の内容を知ることができる貴重なもの。
(図書寮文庫)
本書は,西晋の杜預(とよ,222-84)が孔子(BC552-479)の編纂と伝えられる歴史書『春秋』とその注釈書である『左氏伝』とをあわせ,更に注釈を加えて編纂したもの。全30巻。角書(つのがき,書名の上の小書の部分)の「杜氏」は杜預のことを指す。『左氏伝』は,様々な故事成語にちなんだ話を掲載している。この本は,鎌倉時代(13世紀)に幕府の執権であった北条氏が書写させたもので,もと金沢文庫に伝えられた。
(図書寮文庫)
本書は,中国南北朝時代の南朝の宋(5世紀)の時代の皇族であった劉義慶(りゅうぎけい,403-44)が,後漢末から東晋(3-5世紀)の著名人の逸話を集め編纂した小説集である。第一徳行篇,第二言語篇,第三政事篇のように内容によって36の章に分類されている。とりあげられている人物も曹操(そうそう,政治家)や王羲之(おうぎし,書家)など多岐にわたる。本書は,古代中国の著名人の言説や思想などを知ることのできるもので,我が国でも盛んに読まれた。この本は,中国南宋時代(12-13世紀)に刊行された版本(版木で印刷されたもの)で,全3冊。もと金沢文庫に伝えられた。