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古墳時代前期の日本列島内で鋳造(ちゅうぞう)された青銅鏡(せいどうきょう)である。鏡背面(きょうはいめん)にみられる文様は,同じ佐味田宝塚古墳から出土している中国製の神人車馬画像鏡(東京国立博物館蔵)を手本にしながら模倣したものと考えられる。
原鏡(げんきょう)とその模倣鏡(もほうきょう)が同一古墳に副葬(ふくそう)されていたことになるため,国内における鏡の生産と授受の過程を考えるうえで非常に重要な資料といえる。同様に神人車馬画像鏡を模倣したと考えられる類似鏡は岡山県正崎2号墳などでも確認されている。
佐味田宝塚古墳は墳長約111mの前方後円墳で,明治14(1881)年に家屋文鏡(かおくもんきょう)(当部所蔵)など多数の鏡を含む副葬品が出土したことで著名な古墳である。
(陵墓課)
帯鉤とは,ベルトのバックルに相当する部品である。馬形の帯鉤は朝鮮半島で多数見つかっており,本資料も,朝鮮半島で造られたものが持ち込まれ,副葬されたものと考えられる。
馬形帯鉤のモチーフは,中国北方の騎馬遊牧民(きばゆうぼくみん)にみられるもので,騎馬文化とともに朝鮮半島にもたらされたものと考えられている。
日本での確実な出土例はほとんどなく,本資料以外には,長野県長野市の浅川端遺跡(あさかわばたいせき)出土品があるだけである。
本資料は明治45年に榊山古墳から出土したとされるが,同時期に近接する千足古墳(せんぞくこふん)からも遺物が出土し,両方の出土品がまとめて取り扱われてしまったため,厳密にはどちらの古墳から出土したものなのかを確定することはできない。
当時の国際交流を考える上で重要な資料である。
(陵墓課)
大正5年に西塚古墳から出土した,衝角付冑と呼ばれる冑である。衝角の名称は,軍艦の艦首(かんしゅ)の尖った部分を連想してつけられた。
右側頭部~後頭部にかけて大きく欠損していたが,現在は保存処理をおこない欠損部を修復している。地板(じいた)に小札(こざね)と呼ばれる小型の鉄板が用いられ,伏板(ふせいた),胴巻板(どうまきいた),腰巻板(こしまきいた)の各部材と重ね合わせて,鋲(びょう)を打つことで接合される点が特徴である。
本資料は,古墳時代中期に製作されたものである。エリート層が競って武器武具を手に入れようとした時期であり,被葬者の権威を示す器物として機能していたと考えられる。