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オーストリア=ハンガリー帝国の二つの首都ウィーンとブダペストの写真。画像はウィーンのシュテファン大聖堂の写真。
ドイツ留学中の亀井茲明(かめいこれあき,1861-96)は,帰国が決まると,明治24年(1891)7月13日にベルリンを発ってオーストリア各地を歴訪し,同27日にシュテファン大聖堂などを見学したのちイタリアのベニス(ヴェネツィア)に向かった。シュテファン大聖堂はハプスブルグ家の歴代君主の墓所であるほか,W・A・モーツァルトの結婚式及び葬儀が行われたことで有名。この大聖堂を含むウィーン歴史地区は2001年に世界遺産に登録されている。
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イタリアのベニス(ヴェネツィア)およびローマの写真帖。画像はベニスの有名な観光名所であるリアルト橋とゴンドラの写真。ベニスのカナル・グランデに架かる4つの橋の一つであるリアルト橋は,1591年に完成し,「白い巨象」とも呼ばれた。ヴェネツィア共和国が設計案を一般公募した際には,ミケランジェロも応募したといわれている。
明治24年(1891)7月28日にオーストリアよりベニスに着いた亀井茲明(かめいこれあき,1861-96)は,北イタリアを歴訪し,8月14日にローマに着いた。約2週間滞在したのち,さらにイタリア各地を回り帰国の途に就いた。同年11月6日に帰朝,12月17日に明治天皇に拝謁している。
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明治41年(1908)の嘉仁親王(よしひと,後の大正天皇)東北行啓を記念して作成された山形県の写真帖。嘉仁親王は9月15日から19日の5日間米沢市及び山形市に御滞在になり,市内の学校や織物工場,山寺等を御巡啓。写真帖には行啓先の学校や織物工場,県庁や山寺等が収められている。
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赤穂浪士討入り時の吉良家の屋敷図。堀部安兵衛,大石主税(ちから)など,建物を取り囲む各浪士の配置位置が朱字で記され,臨場感あふれる仕上がり。文政13年(1830)の写しで,100年以上前の討入りへの関心の高さを示す。
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旧石見津和野藩主の亀井伯爵家の当主亀井茲明(かめいこれあき,1861-96)は明治22年(1889)に開催されたパリ万国博覧会を見学しており,その際に収集したパリの写真帖。画像はエトワール凱旋門。エトワール凱旋門はアウステルリッツの戦いの勝利を記念してナポレオン・ボナパルトの命で1806年に建設が開始され,ナポレオン没後の1836年に完成した。