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蹴鞠は,鞠を蹴り上げる技と回数を競う遊戯で,大陸から伝来したとされるが,その起源や伝来時期について,詳しいことはわかっていない。日本においては,12世紀には盛んに行われ,特に後白河天皇(1127-92)は,蹴鞠の名人であったとされる。後世「鞠聖(きくせい)」と神格化される藤原成通(なりみち)は,「蹴鞠は遊び事なのだから,夢中になって楽しめばよい」と語ったとされているように,本来は純粋な遊戯として,日本でも広く受け入れられて流行した。平安時代以降の貴族社会では,作法や装束・施設・用具などが細かく取り決められ,鎌倉時代後期の13世紀には,現在に伝わる蹴鞠の形がほぼ完成したと考えられている。
本書は,永徳元年(1381)3月と応永15年(1408)3月に開かれた蹴鞠会の様子を,古記録などから室町時代の末期に書き抜いたもので,画像は応永15年3月に足利義満の邸宅北山殿において開催された蹴鞠会の会場図。会場(鞠場)には「懸の木」と呼ばれる4本の柳が描かれ,その両脇に競技者(鞠足)が立って行われていた。懸の木は,蹴り上げられた鞠の軌道を不規則にして競技性を高めるために,鞠場には必須の設備とされていた。
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本書は,後小松天皇(第100代,1377-1433)宸筆の書状である。年未詳ながら,宛所(宛先)はないが,書止に「謹言」と書いているところ,天皇周辺の然るべき御身分の方宛てに書かれたものである可能性がある。内容は,短冊や詠進に関することが記されており和歌御会などに関するものと推察される。
(図書寮文庫)
本書は,室町時代中期の公卿洞院実熙(とういんさねひろ,1409-59)が後花園天皇(第102代,1419-70)に宛てて記した仮名の消息(書状)である。消息の裏に書かれている宛先は「勾当内侍とのゝ御局へ」と,天皇の近くに仕える女房宛てになっているが,文末に「御心え候て,御ひろう候へく候」(この旨をよくお心得になって,よろしく御伝達ください)とあり,実際の内容は天皇に対して記されたものとなっている。桂宮旧蔵。
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室町時代の公卿,万里小路時房(までのこうじときふさ,1394-1457)の自筆日記。内容は朝廷の儀式や所領経営の他,時房は室町幕府との連絡役であったことから,室町幕府の動向も詳しく記されている。画像は嘉吉元年(1441)6月24日条で,赤松満祐(あかまつみつすけ,1381-1441)が室町幕府第6代将軍足利義教(あしかがよしのり,1394-1441)に対して反乱を起こした嘉吉の乱(1441)に関わる伝聞記事。
(図書寮文庫)
室町時代,公卿山科家に仕えた大沢久守(おおさわひさもり,1429-98),重胤(しげたね)等の自筆の業務日記。特に久守は立花の名手としても知られる。主家山科家に関する記述を主としながらも,応仁の乱(1467-77)や土一揆の様子も記している。画像は延徳元年(1489)3月30日条で,近江国へ出陣中病没した室町幕府9代将軍足利義尚(よしひさ,1465-89)の遺骸を京に送る行列の中で,義尚の母日野富子(1440-96)が人目を憚らず号泣していた様子を記している。
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本書は,中国漢の時代に司馬遷(しばせん,BC140-?)によって編纂された『史記』を南朝の宋(5世紀)の時代に裴駰(はいいん,生没年未詳)が,のち唐の時代にも司馬貞(しばてい,生没年未詳)らが注釈したもの。内容は130巻で目録1巻を付す。『史記正義』ともよばれる。この本は,室町時代後期の公卿にして学者であった三条西実隆(さんじょうにしさねたか,1455-1537)によって書写された写本43冊である。奥書(書写の経緯を記した文章)によれば永正7年(1510)から同15年にかけて書写し,子息公条(きんえだ,1487-1563)が訓点(漢文の読み方を示した符号)を写したことがわかる。
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本書は,後小松天皇(第100代,御在位1382-1412)宸筆による,応永17年(1410)8月29日に,山科教豊(やましなのりとよ,のちに家豊と改名)へ箏の秘曲「蘇合香」(そこう)を伝授されたことを証明する御伝授状で,天皇34歳の時の書。「蘇合香」は雅楽の曲の一つであり,インドのアショカ王(阿育王)が病に倒れた時,蘇合香という薬草を服用し,全快したことを喜んで曲を作ったことが由来である。序・三帖・四帖・五帖・破・急の六章からなっており,この時はそのうち四帖の拍子の取り方を伝授されたと考えられている。日付の下の書き付けは後小松天皇の御花押(署名を文様化したもの)。
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本書は,後花園天皇(第102代,御在位1428-64)の宸筆をまとめたもので,画像は永享7年(1435)9月15日,父の貞成親王(さだふさ)に宛てられた御消息(手紙)。天皇17歳の時の書で,貞成親王書写の『金葉和歌集』等が天皇のもとへ献上されたことへの御礼と,和歌が「散らし書き」という書式で書かれている。紙の中途から書き始め,書き進めるにつれて余白に書いていくために次第に字も小さくなるため,大きな文字のグループから読んでいくことになる。
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本書は,後土御門天皇(第103代,御在位1464-1500)の宸筆をまとめたもので,画像は文明13年(1481)9月13日,伏見宮邦高親王(くにたか)に宛てられたもの。天皇40歳の時の書で,親王が琵琶の秘曲「大常博士楊真操」(だいじょうはくしようしんそう)を伝授されたことにお祝いの言葉を述べられ,太刀を賜る旨が書かれている。「散らし書き」の書式で書かれており,本紙右側を3分の1ほど空けて書き始め,行の頭を段々下げて2グループ書き,さらに右端の下半分に続いている。
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応仁元年(1467),室町幕府8代将軍足利義政(1436-90)が,陰陽道を司った公家土御門有宣(つちみかどありのぶ,刑部卿)に所領の領有を認めた文書。将軍の花押(御判)が書かれた「御判御教書」(ごはんのみぎょうしょ)は,主として室町幕府将軍が用いた文書様式である。有名な陰陽師安倍晴明の子孫である土御門家旧蔵。