時代/地域/ジャンルで選ぶ
(選択を解除)(図書寮文庫)
霊元天皇(御在位1663-87)は和歌に力を注がれた天皇である。また能書でも知られている。
寛文13年(1673)3月21日の水無瀬殿法楽(後鳥羽天皇を祀る水無瀬神宮に献ずる法楽和歌)のうちの一首を掛け幅に仕立てたもの。松間花(まつのあいだのはな/しょうかんのはな)の題で詠まれた霊元天皇宸筆の御詠草。「立ちまじる松のときはにとりそへて千世もちらすな花の春風」と書かれている。(天皇は,通常自らの御製に御名を記されない。)
(図書寮文庫)
霊元天皇が古歌をお書きになった桜と楓の短冊。短冊本体に絵が描かれていて,輪郭に沿って切り取られた美麗な品である。桜には藤原定家(1162-1242)の「かざしおる道行人の袂までさくらに匂ふ二月の空」,紅葉には慈円(1155-1225)の「詠(ながめ)つる心の色をまづ染て木のはにうつるむら時雨哉」が書かれている。有栖川宮・高松宮に引き継がれていたもの。
(図書寮文庫)
土佐派の絵師土佐光孚(みつざね,1780-1852)の絵に,有栖川宮第7代韶仁親王(つなひと,1785-1845)が,和歌を画讃として書き込まれた掛け幅。「よしの山花のさかりもしるきまでふもとの川に色ぞうつろふ」と詠まれている。有栖川宮の歴代親王は,和歌と入木道(じゅぼくどう,書道のこと)にご堪能だった。秋篠宮殿下や常陸宮妃殿下も有栖川御流の書道を受け継がれている。
(図書寮文庫)
桂宮家旧蔵の伊達政宗書状。すべて八条宮家の家司生島宮内少輔秀盛に宛てた書状。年次を欠いているが,内容や自署・花押の形から,元和から寛永年間の頃に書かれたとされている。この時期は八条宮家初代当主智仁親王(としひと),2代智忠親王(としただ)の代にあたる。伊達政宗と八条宮家の交流が伺える史料。全9通の内1通は,寛永11年(1634)のものと推測される政宗自筆の書状。
(図書寮文庫)
浮世絵師北尾重政(きたおしげまさ)が描いたとされる相馬野馬追(のまおい)祭の絵図の版本(版木で印刷したもの)。野馬追祭は福島県浜通北部(旧中村藩下)で行われている祭事で,旧暦五月の中の申の日を中心に三日間行われた。絵図には江戸時代の野馬追祭の様子が生き生きと描かれている。
(図書寮文庫)
古代の法典『延喜式』(えんぎしき)などから祈年祭の記事を抜き出すなどして調査した書物。江戸時代末期に成立したものと考えられる。祈年祭の歴史的変遷を知る手がかりとなる資料で,江戸時代の知識人にとっても古い時代の祈年祭が深い関心の対象であったことがわかる。
(図書寮文庫)
赤穂浪士討入り時の吉良家の屋敷図。堀部安兵衛,大石主税(ちから)など,建物を取り囲む各浪士の配置位置が朱字で記され,臨場感あふれる仕上がり。文政13年(1830)の写しで,100年以上前の討入りへの関心の高さを示す。