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(図書寮文庫)
本書は,室町時代中期の公卿洞院実熙(とういんさねひろ,1409-59)が後花園天皇(第102代,1419-70)に宛てて記した仮名の消息(書状)である。消息の裏に書かれている宛先は「勾当内侍とのゝ御局へ」と,天皇の近くに仕える女房宛てになっているが,文末に「御心え候て,御ひろう候へく候」(この旨をよくお心得になって,よろしく御伝達ください)とあり,実際の内容は天皇に対して記されたものとなっている。桂宮旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,室町時代後期の公卿九条稙通(たねみち,1506-94)が源氏物語の講釈を受け終えた祝宴に掛けた掛幅である。稙通の着想で土佐光元に描かせ,師であり伯父の三条西公条(きんえだ,1487-1563,法名仍覚)に讃を依頼した。公条による源氏物語講釈は弘治元年(1555)に始まり永禄3年(1560)に終了。図様は,紫式部が源氏物語を石山寺で構想したという伝承に基づく。九条家旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,後水尾天皇(第108代,1596-1680)宸筆による古歌の散らし書き懐紙を掛幅に仕立てたもの。古歌は,藤原公通(きんみち)の『新古今和歌集』夏部所収の和歌(「二こゑときかすはいてしほとゝきす幾夜あかしのとまりなりとも」)である。大意は「ほととぎすよ,二度目の鳴き声を聞かないことには出航はするまい。たとえ何日もこの明石の浦で,夜を明かす停泊になるとしても」。閑院宮旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,光格天皇(第119代,1771-1840)24歳の宸筆で,実父閑院宮典仁親王(すけひと)薨去百箇日に際して書写された阿弥陀名号である。上下二段,五百行にわたって千遍の名号が書かれている。奥書には「神武百二十世兼仁合掌三礼」とあり,現在の代数(第119代)と異なるが,それは北朝を歴代とする『本朝皇胤紹運録』の数え方によるため。謹厳な書きぶりは,父の菩提を弔うという特別な意識が働いていたためと推測される。閑院宮旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,もと正倉院に伝来した文書類のうちで,のち国学者である谷森善臣(1817-1911)の所有となり,同家よりその蔵書とともに図書寮に献納された。天平13年(741)3月15日一切経納櫃帳ほか5点を貼り継いだ一巻。画像は,天平勝宝3年(751)の写書所解。外題(題名)を書くための狸毛の筆と雑公文用の料紙として「凡紙」を請求しているもの。
(図書寮文庫)
本書は,従三位中納言紀長谷雄(きのはせお,845-912)の詩文集である。長谷雄は,菅原道真などの当時最高の学者に師事した文人貴族。本書は,巻14の断簡で,かつ巻頭が欠けてはいるが『紀家集』唯一の伝本である。延喜19年に大江朝綱(おおえのあさつな,886-958)によって書写されたもの。紙背には延喜10年代の11通余の申文(任官を願う上申文書)があり,これも貴重である。伏見宮旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,平安時代後期に摂政・関白を歴任した藤原忠通(1097-1164)の自筆書状である。内容は,忠通の側にいたと思しき,ある貴人の病気に関するもので,このとき平癒のための御占や御祈が盛んに行われたことがうかがえる。宛所(宛先)が欠けているが,忠通の息女聖子(1122-82)の可能性が考えられる。土御門家旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,伏見天皇(第92代,1265-1317)の宸筆御集(御製集)である。能書で知られる伏見天皇であるが,なかでも緩急自在に書かれたこの御集の断簡は「広沢切」と称され特に珍重されている。本書の紙背(裏面)は嘉元5年(徳治2年,1307)の具注暦で,その裏に夏の歌を書写して一巻としている。恐らくは天皇御自身が,御製集編纂のために書写した草稿本と推測される。
(宮内公文書館)
明治2年(1869)3月10日付H・シーベル宛都築荘蔵・町田久成書簡。外国官(後の外務省)から在横浜スイス公使に明治天皇の東京再幸について知らせている。シーベルはスイス総領事代理を務め,シーベル・ブレンワルト商会を営んだ人物である。
(宮内公文書館)
明治5年(1872)9月12日,横浜鉄道館で行われた鉄道開業式の写真。日本初の鉄道が新橋・横浜間で開業した。本写真から,式典や開業当初の駅舎の様子がうかがえる。神奈川県知事井上孝哉から大正10年(1921)に宮内省臨時帝室編修局へ寄贈されたもの。
(宮内公文書館)
明治7年(1874),横浜灯台寮への行幸啓関係書類。洋式灯台を天覧した翌日には,横浜の実業家高島嘉右衛門(かえもん)が創業した横浜瓦斯(がす)会社にも行幸啓があった。洋式灯台や瓦斯灯は横浜の文明開化を象徴するものであった。
(宮内公文書館)
明治32年(1899),日本競馬会社から根岸競馬場への行幸を出願した書類。日本競馬会社社長アーネスト・サトウが英文で提出した。天覧競馬は計13回行われたが,不平等条約が改正された同年をもって,内外の社交場であった競馬場への行幸は最後となった。
(宮内公文書館)
明治43年(1910)・44年に行われた日本競馬会の入場チケットと番組表。根岸競馬場は慶応2年(1866)から昭和17年(1942)まで,近代競馬の中心的役割を果たした。明治天皇の行幸や優勝賞品の下賜(かし)など,皇室として競馬文化を積極的に奨励した。
(図書寮文庫)
本書は,中国南宋の陳実(ちんじつ,12世紀頃の人)が,仏教経典の集大成である大蔵経から,事項を抜粋・分類した索引・内容一覧的な仏教書である。
徳川家康が慶長20年(1615)に隠居所駿府(静岡)で出版を命じた「駿河版」(するがばん)と呼ばれる金属活字で印刷した図書のひとつ。家康を深く尊崇する徳川吉宗は,幕府の図書館である紅葉山文庫に,家康の出版物が欠けていたため,元文5年(1740),当時和歌山藩に伝来していたこの大蔵一覧集を取り寄せ紅葉山文庫に収蔵したのである。