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剣豪として知られる宮本武蔵(1584?-1645)自筆と伝えられる肖像画。伝来は不明だが,明治期に皇室に献上されたものと考えられる。武蔵の伝記については不明な点が多いが,武道修行のため諸国をめぐり,のち二天一流(にてんいちりゅう)兵法の祖となった。巌流島での佐々木小次郎との決闘は著名。肥後藩に仕え兵法書『五輪書』(ごりんのしょ)を著している。本図はよく知られる二刀流の姿を描き,武蔵の独特の風貌を伝えている。
(図書寮文庫)
新井白石(1657-1725)は江戸時代中期の儒学者・政治家。久留里(現・千葉県君津市)藩士の子として,江戸に生まれる。名は君美(きんみ),白石は号。師である木下順庵の推挙で甲府藩主徳川綱豊に仕えた。綱豊が家宣と改名して6代将軍になると将軍侍講として活躍。7代家継の代にわたって7年あまりの間,幕政の改革にあたった(正徳の治)。白石の著作として自伝『折たく柴の記』や,日本に密入国したイタリア人宣教師シドッチを尋問した『西洋紀聞』などがある。
本図に見える威儀を正した白石の姿は,武士として,また儒者としての威厳を感じさせるものとなっており,新井家所蔵本の模写本ながら見事な出来栄えといえよう。有職故実で名高い松岡家旧蔵本のひとつ。
(図書寮文庫)
但馬国(現在の兵庫県)の人で,蚕の買い付けや品種改良に携わった上垣守国(うえがきもりくに,1753-1808)が著した養蚕技術書。品種,道具,技法,起源や伝説など,蚕にまつわるさまざまな事柄を網羅している。享和3年(1803)に版木で印刷され出版された。以後,国内では明治期に至るまで出版が続けられたロングセラーで,シーボルトによって国外に持ち出されたことでも有名。後に,フランス語訳・イタリア語訳も出版された。
(図書寮文庫)
本図は,寛政11年(1799)に出版された京都の名園案内書に描かれた蹴鞠の風景。本文の説明には,当時は七夕を恒例の開催日として,飛鳥井・難波両家で蹴鞠の会が開催されたとある。この両家は,蹴鞠が貴族社会に受け入れられていく中で,技術・故実(作法)を蓄積した家として成長し,いわば蹴鞠の家元として指導的な立場に立った。画像から鞠場の周囲に柵が設けられ,競技者と観覧者とが明確に分けられていることがわかる。技術の高度化・複雑化によって,蹴鞠は遊戯から競技として鑑賞・観覧の対象に変化していったと考えられる。
(図書寮文庫)
平安時代末期に相撲節会(すまいのせちえ)が途絶えた後,武士の世においては,相撲は武術として奨励され,また興行相撲など娯楽としても流行した。本書は江戸時代の寛政3年(1791)6月11日に,江戸城内の吹上で行われた第11代将軍徳川家斉臨席による初めての上覧相撲の様子を書きとめたもの。本書は,陪観(身分の高い人に付き従い見物すること)を許された幕府の旗本であった成島峯雄が書いた記録で,この時の出場力士には小野川・谷風の両横綱や最強と讃えられた雷電の名も見える。
本書は,寛政6年,松岡辰方が人に依頼し書写させたもの。
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走り回る犬を騎馬で追って稽古する犬追物(いぬおうもの,犬を傷付けないよう蟇目という特殊な矢を使用)は鎌倉時代に始まったが,世の乱れに従って廃れた。やがて江戸時代になると,室町時代から続く大名の小笠原・島津両家と室町幕府の儀礼を担当した伊勢家の子孫が作法を伝えるだけとなった。
本図は,弓弦が袖を払わないよう犬追物で左腕に着用する「犬射籠手」(いぬいごて)の紙製の模型。外袋には,伊勢家伝来の室町幕府の様式だと書かれている。本品を所蔵していた松岡辰方は伊勢家の当主貞春の弟子であった人物。なお,ほかの2点は,辰方と交流のあった本多忠憲という有職故実研究家が所持していた小笠原流の仕様による籠手の紙製の模型。
(図書寮文庫)
本書は,後水尾天皇(第108代,1596-1680)宸筆による古歌の散らし書き懐紙を掛幅に仕立てたもの。古歌は,藤原公通(きんみち)の『新古今和歌集』夏部所収の和歌(「二こゑときかすはいてしほとゝきす幾夜あかしのとまりなりとも」)である。大意は「ほととぎすよ,二度目の鳴き声を聞かないことには出航はするまい。たとえ何日もこの明石の浦で,夜を明かす停泊になるとしても」。閑院宮旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,光格天皇(第119代,1771-1840)24歳の宸筆で,実父閑院宮典仁親王(すけひと)薨去百箇日に際して書写された阿弥陀名号である。上下二段,五百行にわたって千遍の名号が書かれている。奥書には「神武百二十世兼仁合掌三礼」とあり,現在の代数(第119代)と異なるが,それは北朝を歴代とする『本朝皇胤紹運録』の数え方によるため。謹厳な書きぶりは,父の菩提を弔うという特別な意識が働いていたためと推測される。閑院宮旧蔵。
(図書寮文庫)
本書は,中国南宋の陳実(ちんじつ,12世紀頃の人)が,仏教経典の集大成である大蔵経から,事項を抜粋・分類した索引・内容一覧的な仏教書である。
徳川家康が慶長20年(1615)に隠居所駿府(静岡)で出版を命じた「駿河版」(するがばん)と呼ばれる金属活字で印刷した図書のひとつ。家康を深く尊崇する徳川吉宗は,幕府の図書館である紅葉山文庫に,家康の出版物が欠けていたため,元文5年(1740),当時和歌山藩に伝来していたこの大蔵一覧集を取り寄せ紅葉山文庫に収蔵したのである。
(図書寮文庫)
本書は,中国清王朝第4代皇帝聖祖(康熙帝)が,康熙28年(1689)琉球国中山王尚貞の朝貢(臣下としての礼をとること)に対する答礼の書の写。前半が漢文(右端より始まる),後半が満洲文字(左端より始まる)で書かれ,下賜品の目録なども載る。本書は細部まで丁寧に模写されており,江戸中期に琉球国から幕府に提出されたものという。正徳6年(1716)6月10日に吉宗が本書を閲覧した記録が残る。
(図書寮文庫)
第108代後水尾天皇(御在位1611-29)の御落飾後を描いた掛幅。尾形光琳(1658-1716)画。後水尾天皇は学問や和歌などの文芸にご関心が深く,江戸幕府との難しい関係の中,宮廷文化の復興に力を注がれた。
なお,光琳の落款を見ると,法橋(ほつきよう,本来は僧に授与する位だが仏師や絵師にも授けられた)とあり,光琳が法橋に叙せられた元禄14年(1701)以降の作品だとわかる。後水尾天皇は延宝8年(1680)に崩御されているので,制作年代に疑問があるようにみえる。しかし,貴人の肖像画は,原画に拠って描かれることが多く,ここでも公家が描いた下絵をもとに,描かれたものだと思われる。
(図書寮文庫)
天明8年(1789)正月30日,京都で発生した大火の影響で仮住まいを強いられていた後桜町天皇が,2年後に新造された仙洞御所に遷幸された際の行列の様子を描いた彩色の絵図。このときの遷幸に関しては文字資料として,当部所蔵の「院中評定日次案」(いんちゅうひょうじょうひなみあん,函架番号260-58)があって,公家にかかわる行列の詳細が記されているが,本資料には公家たちのほかに,その前後の町人や武家の姿も描かれている。
(図書寮文庫)
寛永5年(1628)正月28日から30日に行われた,任官儀式の作法を伝える資料。古代以来貴族にとってきわめて重要な儀式だったので,当時からこうした資料は文字により多くの資料が編纂された。しかしこの儀式は,戦国時代には事実上中絶してしまい,江戸時代になって復活する。そのため少しでも具体的な様子がわかるように,本資料では豊富な指図によって文書の様子や墨の持ち方などを図示している。
(図書寮文庫)
「蝦夷図」(えぞず)と「唐太島見分麁絵図」(からふととうけんぶんそえず)からなる江戸末期の写本。「蝦夷図」は現在の本州最北部から北海道を彩色画で描き,各地の名称や簡単な地誌等が書き込まれている。本州および北海道南部には,道や航路が示されて交流の様子がうかがえるが,「蝦夷地は広大なため縮めて省略する」との注記があるように,全体の姿は現在の地図によってイメージされる北海道とはまったく異なる姿になっている。
(図書寮文庫)
清和源氏と徳川氏の系図各1鋪からなる江戸中期の版本。それぞれ,清和天皇と徳川家康の父広忠(ひろただ)を円の中心として,同心円状に徳川将軍家の系譜を中心に記述している。冊子状の系図は,世代が進むに従って頁を繰る必要があるが,この資料は各世代を同心円内に記載することで,一見して世代関係が把握できるようにしようとしたものと思われる。
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杉田玄白らが安永3年(1774)に刊行した,日本最初の西洋医学の翻訳書。序文と図からなる1冊と,本文4冊によって構成されている。図と本文は各篇毎に対応していて,各篇内の図には,本文に付された数字などが割り振られ,本文の記述が人体のどの部位を指しているかがわかるように工夫されている。
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本書は,後桜町上皇(第117代,女性の天皇,1740-1813,在位1762-1770)七十の御賀の記録の一つ。上皇の御賀は,文化6年(1809)12月14日に催された。御賀に際しては,屏風の色紙形に貼られる和歌が詠進され,四季の情景を描いた屏風(六曲一双)が制作された。本書は,この折に制作された屏風絵の小下絵で,宮廷画家の鶴沢探泉(つるさわたんせん,?-1816)によるものであることが他の記録よりわかる。華やかな大和絵で描かれた屏風の様子を具体的に窺うことができる資料である。
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本書は,後水尾法皇(第108代,1596-1680,在位1611-29)八十の御賀の記録の一つ。法皇は,歴代の天皇の中でもご長寿で,宝算85歳を数えられた。法皇八十の御賀は,延宝3年(1675)11月14日に催された。本書は,一枚の料紙を六曲一隻の屏風風に折りたたみ,屏風の形を再現する珍しい資料である。表・裏両面に書かれてはいるが,本来は別々に制作される一双を表したものと考えられる。これによって屏風の大きさや,各面の絵柄,和歌を書いた色紙形がどのような配列に貼られたのかなどが具体的にわかる。
(図書寮文庫)
本書は,後水尾法皇八十の御賀に際して,法皇に贈呈された杖を描いたもの。杖は老の象徴だが,御賀の折には長寿を願い杖を贈る習慣があった。その素材は長寿を象徴する竹だったが,後には竹をかたどって白銀で作られることもあった。法皇に贈られた杖は白銀製であったことが本書よりわかる。『拾遺和歌集』にも,杖にちなんだ「君がため今日切る竹の杖なればまたともつきせぬ世々ぞこもれる」(巻5,賀)というお祝いの和歌がみえる。絵は白描(墨一色を用い筆線を主体として描く技法)ながらほぼ原寸大に描かれている。